JR総武本線旭市の干潟駅。ローカル色が豊かで
レトロな駅舎ですね。(^^♪
干潟駅から歩いて程なくの場所にある干潟公園。
前回少し触れましたが、この周辺は江戸時代初期
まで椿海(椿の湖)があり、その名残りがあります。(*'▽')
(干潟公園に隣接して建立されている金刀比羅宮)
椿海(椿の湖)の干拓は江戸時代初期、杉山三右衛門
が計画いたしましたが幕府より許可が下りず、その後
白井治郎右衛門と幕府の大工頭・辻内刑部左衛門に
より開始されました。(*‘∀‘)
しかし下流の村々の反対や椿海(椿の湖)の排水処理
などにより工事は困難を極め、白井治郎右衛門は
資金難により離脱、辻内刑部左衛門は江戸白金台
黄檗宗瑞聖寺の鉄牛和尚に協力を頼み、工事は再開
され、寛文8年(1668年)から3年後の寛文11年(1671年)
新田開発が始まりました。干潟八万石とも言われました。( ˘ω˘ )
(鉄牛和尚の干拓の功績には諸説あるようです)
これにより元禄8年(1695年)検地により18の村が誕生
しましたが水をめぐる問題は大利根用水が出来るまで
解決されませんでした。(´・ω・`)
(江戸時代初期と現代の椿海・椿の湖周辺)
椿海(椿の湖)の名残りを探索する・あまきオフィス