解体新書誕生に大きな役割を果たした前野良沢。!(^^)! | 千葉の歴史、名所、旧跡アドバイザー・尼木のブログ

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杉並区梅里の閑静な住宅街の中に建てられた慶安寺。

江戸時代の寛永4年(1627年)不忍池に近い下谷池之端

に建立されました。(^^♪

しかし下谷池之端は湿気が多く、伽藍の痛みが激しく

墓地にも適さない土地であったため、大正2年(1913年)

現在地に移転しました。( ˘ω˘ )

境内の墓地には、江戸時代中期に杉田玄白、中川淳庵

とともに解体新書作成に大きな役割を果たした、前野良沢

の墓地があります。(*'▽')

【墓石に蘭の文字が刻まれています】

昭和20年5月25日の空襲により、寺宝や前野良沢の

遺品なども焼失しました。( ˘ω˘ )

【4月にご紹介した杉田玄白の墓所、港区虎ノ門の栄閑院】

当時、蘭学を学んでいた著名人が足繁く訪れたのが

現在の中央区日本橋室町4丁目、JR総武快速線

新日本橋駅の入口に建っていた、薬種問屋の長崎屋。(*‘∀‘)

長崎出島のオランダ商館長カピタンが江戸参府の際に

定宿としていた場所で、江戸の出島とも呼ばれました。(^^♪

杉田玄白、前野良沢、中川淳庵、平賀源内、最上徳内(蝦夷探検)

高橋景保(幕府の天文方)桂川甫周(幕府の奥医師)など

たくさんの蘭学者や医師が長崎屋を訪問しました。(*'▽')

 

当時の日本に開かれた数少ない西洋文明との交流の場でした。(*‘∀‘)

 

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