若き優秀なパイロット殉空の地。( ˘ω˘ ) | 千葉の歴史、名所、旧跡アドバイザー・尼木のブログ

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習志野市袖ヶ浦にある児童公園。(^^♪

現在では普通の公園ですが、大正時代には

この地に滑走路がありました。(*'▽')

民間航空発展に尽力した、伊藤音次郎が

大正7年(1918年)、伊藤飛行機研究所を

開設し、当時は鷺沼海岸と呼ばれたこの地

に飛行場を併設しました。(*‘∀‘)

現在、千葉街道沿いに建つガソリンスタンド

の辺りに研究所がありました。(´・ω・`)

(当初、千葉市稲毛に開設した、伊藤飛行機研究所)

この伊藤飛行機研究所に入校したのが

山縣豊太郎です。伊藤飛行機研究所が

現在の千葉市稲毛にあった時の第1期生で

大正8年(1919年)には、上野上空で宙返り

を敢行、民間人初の快挙でした。(*'▽')

その後、大正9年(1920年)4月に開催された

東京~大阪間飛行大会に優勝し、将来を期待

されていましたが、大正9年(1920年)8月に

習志野市鷺沼上空で連続宙返りを実行中に

右上翼が空中分解し墜落、22歳という若さで

殉空しました。(´-ω-`)

墜落の地には、山縣豊太郎飛行士の慰霊碑

が建てられ、彼の功績を今に伝えています。( ˘ω˘ )

当時、航空機の操縦は命がけだったのですね。(´-ω-`)

 

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