【セカンドキャリアとデュアルキャリア】
その後、毎月毎月休まず定期的に生理はやって来ました。
一体あの15年間は何だったんだろう?と感じるくらい、その後は無月経になる事はありませんでした。
かつて…休職中はジョギングのみ、フルマラソン後は1ヶ月程軽い練習のみだったり、ケガで走れない時期も沢山ありました。
体の負荷を落としても、ずっーとずっーーと来なかった生理が、拍子抜けするくらいに呆気なく来るようになりました。
私は元来、神経質で負けず嫌いな性格でした。只、競技を続ける中で幾度と山を乗り越え谷底に突き落とされる逆境を経験し、サバサバした比較的楽観的な図太い性格へと変わる事となりました。そんな私でも心の重圧やストレスが無月経に繋がったのかもしれません。
引退後のセカンドキャリアについては、20台後半くらいから、ぼんやり考える程度で明確なモノはありませんでした。
お世話になった会社でOLとして働く道もありました。大企業ですから安定した生活が保証される魅力的な選択肢でもありました。
でも自分がOLとして働く姿がどうしても想像できず、得意なスポーツで出来る事があるんじゃないか?【スポーツで世の中を明るく元気にしたい!!!】という熱い想いを胸にセカンドキャリアがスタートしました。何かのあてがあった訳でもなく、ワクワク冒険に出掛けるような気持ちで第2の人生がスタートしました
今まで陸上を選ぶ際も、進路を決める時も、いつも自分がワクワクする方を誰にも相談せず直感で決めてきました。
まさに、ワクワク道標!
印象的だったのは、現役中に聞いたフィギュアスケート荒川静香さんの「メダルが未来へのパスポートになる」というニュアンスの言葉でした。
確信こそありませんでしたが、選手時代の実績が未来へ繋がることもあるだろうと妥協なく競技に取り組めたことが結果的にはセカンドキャリアの仕事に繋がりました。
また小出監督が、現役時代からテレビのお仕事やゲストランナー等…「ちばちゃん、こんな依頼が来ているよ!」と教えて下さり、興味があればやったらいいよと私に可否を委ねて下さいました。
そこで経験した事は、とても新鮮で刺激的で遣り甲斐を感じる事が多く、未来に新たな夢を抱く事に繋がっていきました。また、再度呼ばれるように競技成績をもっとあげなければと競技生活もより一層、未来に楽しみを抱きながら取り組む事に繋がったと思います。
よくある選手の目標に、感謝の気持ちで周囲を笑顔にできる走りで自己記録を目指します…というフレーズを聞きます。確かにその気持ちは十分よく分かりますし、ごもっともです。
ただセカンドキャリアを見据えるのであれば…もう少し具体的に目標を定め、小さな大会や市民マラソンレースでもいいのでタイトルをとったり分かりやすい実績を残しておく事はとても重要なのです。その実績が未来の名刺変わりになる事もあるのです。
会社に残る場合でも、選手のうちに出来るだけ顔や名前、自分の活躍を覚えて貰おうと工夫するのもいいかもしれません。発言ひとつにしても皆と同じではなく、自分らしさを大切にする事で、より応援され愛される人間力を身につける事に繋がりそうですね。
このように、競技生活と平行しながら準備をしつつセカンドキャリアへ向かうことを【デュアルキャリア】と言います。「人としての人生」と「競技者としての人生」を同時におくり、人生設計をしながら将来に備える期間です。
つまり、「競技者」であるうちに、「競技者以外の自分」を形成しておく必要があるのです。
まさに、大迫傑さんの選手時代がそうだったと思います。
先を見据えた上で、今何をやるべきなのか?今何が必要なのかを考えながら選手生活を送る事がとても大事になる…と私はセカンドキャリアを経験してきた中で痛感しています。
セカンドキャリアは選手だけでなく、遅かれ早かれ多くの人が直面する事でもありますよね。
また、キャリアを積む上でプライベートと両立するために自分の理想や未来予想図を心に描く事は無駄にはならないはずです。結婚や出産は相手が要ることなので計画的にいくはずはありませんが、その上で婦人科での指摘やアドバイスが人生設計を左右する事もあるかと思います。その都度上書きや軌道修正をしながら自分が望む未来に近づいていけたらいいのかもしれません。
次回は、【競技と恋愛偏差値】について綴ってまいります。