【マラソン転向で更なる試練】


トラック競技、ハーフマラソンで実績を残した私は…いよいよ究極の競技フルマラソンへと足を踏み入れました。


やっぱり…フルマラソンは花形で注目度も高い!元々フルマラソンで活躍する事を視野に、徐々に距離を伸ばす為のトラック競技という位置付けでした。


実際トラックの世界大会を走ってみても、スピード化の波をひしひしと感じました。この時期のマラソン転向は私にとっては適切だったと思います。


それまでのトラック競技中心の練習では、少しゆとりを持ちつつ行う事が出来ていました。


生理はありませんでしたが、たまには恋愛もしていましたよ。女性としての心は機能していたようですね。


所がマラソンを始めてからは、そんな余裕は無くなりました。格段に走行距離や練習量が増えた事で回復が間に合わず、ケガや体調不良の連続でした。


待ちに待ったフルマラソン!


しかし、楽しみな気持ちとは裏腹にケガの連続で、次々に試練が襲いかかってきました。


マラソンへの転向を示唆してから、いざスタートラインに立てるまで何度も大会出場をキャンセルし2年程を要しました。


スポットライトに照らされ注目を浴びた場所から、急に暗いトンネルの中をさまよい続けるような辛い時期でした。


やっとの想いで、たどり着いたマラソンデビュー戦も万全の状態ではありませんでした。


計画はすっかり狂い、初マラソンが五輪選考となってしまい。五輪落選…


その後、自らの希望で直ぐに休職をさせて頂きました。


会社の休職制度を活用しました。


陸上を始めてからずっーと走り続けてきた身体と心をここで休ませなければという心の声に従いました。


スポーツの世界に関わらず…自分の心と身体の状況に耳を傾け、時には立ち止まりその場から距離を置き、休む勇気も必要なんだと思います。


その時既に、24歳目前でした。


15歳から1度も生理はありませんでしたが、その事は眼中に無く、ただただ休みが必要でした。


ケガで身体がボロボロで、とにかく休んでリセットしなければ前に進めない状況でした。


陸上を続けるのか?続けないのか?とても決められる状況ではなく…


例え続けるとしても、次の五輪はまた4年後、休養を取っても問題無いと判断しました。


本来ならここで、婦人科に行き治療を行うのがベストだったのでしょう。今振り返るとそう思います。


ただ、生理が無いことが余りにも日常になり過ぎていた私はその事に気付きませんでした。



次回は【休養中の生活】について綴ってまいります。