【古代賀茂氏の足跡】棚機神社 | 東風友春ブログ

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天なるや、弟棚機のうながせる、玉の御統、みすまるに、穴玉はや、み谷二渡らす、阿遅志貴高日子根の神ぞ。

 

下照姫が詠んだ夷振には、天界にて機を織る女性(天の弟棚機)が登場するが、この女性は七夕の「織姫」を連想させる。

弟棚機とは、棚(横板)をつけた機械で織る女性を意味し、女性が織物を織るのは、原始的な生活様式を今なお守る世界各地の少数民族に見ることができ、古代からの人類共通の習俗だと言える。

 

 

さて、「古語拾遺」には、天照大神が籠る天岩戸の前で神衣を織った「天棚機姫」という神が登場する。 

 

令天羽槌雄神 倭文遠祖也。織文布。令天棚機姫神織神衣。所謂和衣。古語爾伎多倍。

 

ここでは、倭文(シトリ)氏の遠祖である天羽槌雄神文布(シツ)を織らせ、天棚機姫神神衣、つまり和衣(ニキタヘ)を織らせたとしている。

岩波の古語拾遺の補注では、文布はなどの繊維で織った布であるのに対し、伊勢神宮の神衣祭の事例から、和衣は絹布を指すとみる方が合理的だと述べている。

つまり古語拾遺では、文布を織る天羽槌雄神と和衣を織る天棚機姫神は各々別神だとするが、古事記日本紀には天棚機姫神が登場しないので何とも判断しようがない。

しかし、一つ注意したいのは、倭文氏はよく渡来氏族と勘違いされるが、天羽槌雄神を祖神とする歴とした日本の古代氏族であり、これは渡来人の秦氏が機織の技術者集団であったために広まった誤解である。

 

 

この天羽槌雄神は、神名帳の大和国葛下郡に「葛木倭文坐天羽雷命神社」という神社が記載され、その祭神とされている。

現在この神社は、二上山登山口にあたる奈良県葛城市加守に鎮座しており、祭神を天忍人命とする「掃守神社」と、祭神を大國御魂神と豊布都霊神を祭神とする「葛木二上神社」を左右に配祀している。

葛木倭文坐天羽雷命神社に掃守神社が配祀されているのは、祭神の「天忍人命」が掃守連の祖神であり、地元(加守)の氏神であるためだ。

そもそも掃守連の住地に倭文氏の氏神である天羽槌雄神が祀られているのも不思議な気はするが、この疑問に「神祇志料」では、葛木倭文坐天羽雷命神社は「今上太田村志登梨にあり、棚機森と云」と記す。

上太田村の棚機森、現在奈良県葛城市太田には今も「棚機の森」があって、そこに「棚機神社」と称する小さなお宮が鎮座している。

棚機神社は岩橋山の山際を走る南阪奈道路の側の森に石の祠が残るだけの小さな社である。

 

 

しかし、この棚機の森の鎮座地は「太田字七夕」だそうで、「志登梨(シトリ)」もしくは「倭文」といった地名は周囲にも見当たらない。

そもそもこの神社の祭神は天棚機姫神とされ、天羽槌雄神とは異神であるなら、棚機神社と葛木倭文坐天羽雷命神社とは何ら関係ないように思える。

ところが、奈良県葛城市寺口には「博西神社」という神社があって、「新庄町史」には博西神社の由緒を次のように記している。

 

昔、葛下郡磐城村岩橋太田方に棚機森今、七夕蔭)といふ所があつた。布施氏がここから天羽雷命を遷座した時、大屋まで来ると日が暮れたのでそこを日暮といふ。しかし棚機の森には古来社殿の設備がなく、唯少しの老樹と石灯籠一基を存するだけであるから、葛木倭文坐天羽雷命神社を波加仁志に遷座せられたことを徴するに足るといふ。

 

 

これによると、棚機神社は葛木倭文坐天羽雷命神社であり、博西神社の元宮だとしている。

ちなみに博西(波加仁志)とは屋敷山古墳(現屋敷山公園)の西側に位置することから「墓西」と称するが、博西神社の鎮座地は「字倭文山」であり、同社を「葛木倭文大明神」と記した明治以前の文書(地頭への諸願許可書等)も存在するそうだ。

こうなると、天棚機姫神は天羽槌雄神と同神であるとしか思えないが、新庄町史が載せる「博西神社明細帳」には「明治初年の頃、大和志の書載する所に依り天羽雷命神社は同郡当麻村大字加守に所定し、祭神を下照姫命を祭りたるは今其據所を知らず」とあって、式内社に漏れた博西神社の祭神を下照姫とした帰結が何とも言えず面白い。

そのような訳で、現在、博西神社の色彩見事な本殿には、下照比賣命を北殿、菅原道真公を南殿に祀っている。

 

 

ところで、七夕の牽牛織姫の伝説は中国由来だそうだが、下照姫の夷振では「穴玉」に、「み谷(御谷)天の川に置き換えたなら、「御統の玉を糸で繋ぐように(天稚彦にもう一度会うために)天の川を渡ることができるなら、そんな願いを叶えるのは味鉏高彦根神であるよ」と解釈でき、天神の返し矢によって天稚彦を亡くした下照姫の想いが、天帝によって引き裂かれた彦星(アルタイル)と織姫(ベガ)との伝説に不思議に合うことに驚きます。

 

旧暦七月七日の夕べから、記紀に天稚彦の殯を「八日八夜」とした期間を経ると、お盆(旧暦七月十五日あたり)に入ることから、七夕の節句とはやはり日本古来の祖霊信仰に基づくものかもしれない。