【古代鴨氏物語】三輪山伝説 | 東風友春ブログ

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前回は、山城国風土記及び古事記の丹塗矢伝説は物語の構造がとても似ていることを説明しました。

さらに新撰姓氏録の「大神朝臣」の記述に登場する「三島溝杭」が、古事記の丹塗矢伝説にも登場することを述べました。

 

初大國主神、娶三島溝杭耳之女玉櫛姫、夜來曙去、未曾晝到。於是玉櫛姫續苧係衣、至明隨苧尋覓、經茅渟縣陶邑、直指大和國眞穗御諸山。還視苧遺、唯有三縈、因之號姓大三縈。

【新撰姓氏録】(八一五)より

 

大神朝臣の伝承では、大国主神「三島溝杭耳」の娘の玉櫛姫のもとに通いますが、いつも夜に来て明け方には去るため、玉櫛姫は(神の)衣に(芋麻の)糸を引っ掛け、翌朝にその糸を辿ると茅渟県陶村を経て大和の御諸山へまっすぐに続いていました。

残った糸が三輪だけだったことから、(この一族は)大三輪氏と名乗ったと記している。

このため、「神」と書いて「ミワ」と呼び、自らを大いなる神の子孫として「大ミワ氏」と称したのでした。

さて、大神氏が世に出るきっかけとなったのは「大田々根子命」の出現によってです。

 

 

此謂意富多多泥古人、所以知神子者、上所云活玉依毘賣、其容姿端正。於是有神壯夫、其形姿威儀、於時無比、夜半之時、儵忽到來。故、相感、共婚共住之間、未經幾時、其美人妊身。爾父母恠其妊身之事、問其女曰、汝者自妊。无夫何由妊身乎。答曰、有麗美壯夫、不知其姓名、毎夕到來、共住之間、自然懷妊。是以其父母、欲知其人、誨其女曰、以赤土散床前、以閇蘇此二字以音。紡麻貫針、刺其衣襴。故、如教而旦時見者、所著針麻者、自戸之鉤穴控通而出、唯遺麻者三勾耳。爾卽知自鉤穴出之狀而、從糸尋行者、至美和山而留神社。故、知其神子。故、因其麻之三勾遺而、名其地謂美和也。此意富多多泥古命者、神君、鴨君之祖。

【古事記】(七一二)より

 

古事記では「この意富多多泥古といふ人を神の子と知れる所以は」との書き出しで、意富多多泥古(大田々根子命)を「神の子」と表現し、新撰姓氏録の「大神朝臣」の伝承とほぼ同じ内容の物語を載せている。

ここでは、活玉依毘賣(活玉依姫)の美しさに惚れた神が麗しい人の姿となり、毎夜現れては共に過ごす間に活玉依姫は妊娠します。

夫もいない身なのに妊娠したと不思議がる父母に、姫は名を知らぬが毎夜通う者がいると答えます。

姫の話を聞いた父母は、相手の身元を探るため、麻の糸を通した針をその者の衣服に引っ掛けるよう教えます。

翌朝になって見れば、戸の鍵穴から抜け出た糸が三輪山の神の社へと続いていたので、姫が(三輪山の)神の子を身ごもったと気づくのでした。

この物語は、糸の残りが三輪だったことから「三輪山」の地名説話になっており、俗に「三輪山伝説」と呼んでいる。

この三輪山伝説では丹塗り矢が登場しないので、古事記にある媛蹈鞴五十鈴姫の誕生とは別の話との印象を受けるが、実は同じ出来事を物語っている。

要は「神と人との結婚」であり「神の子の誕生」なのだが、ここではもう少し大田々根子について掘り下げてみたい。

 

是以驛使班于四方、求謂意富多多泥古人之時、於河内之美努村、見得其人貢進。爾天皇問賜之汝者誰子也、答曰、僕者大物主大神、娶陶津耳命之女、活玉依毘賣、生子、名櫛御方命之子、飯肩巢見命之子、建甕槌命之子、僕意富多多泥古白。於是天皇大歡以詔之、天下平、人民榮。卽以意富多多泥古命、爲神主而、於御諸山拜祭意富美和之大神前。

【古事記】(七一二)より

 

布告天下、求大田々根子、卽於茅渟縣陶邑得大田々根子而貢之。天皇、卽親臨于神淺茅原、會諸王卿及八十諸部、而問大田々根子曰、汝其誰子。對曰、父曰大物主大神。母曰活玉依媛。陶津耳之女。亦云、奇日方天日方武茅渟祇之女也。

【日本書紀】(七二〇)より

 

大田々根子命の出現を、古事記では崇神天皇の御代としており、日本紀では崇神天皇七年のこととしています。

この年は疫病が発生して多数の死者を出していました。

このような国状に頭を悩ませていた天皇に、大物主神が夢の中に現れて「大田々根子という人物に我を祭らせたなら万事解決する」と教えます。

大田々根子を発見した天皇は、彼に「そなたは何者か」と問うと、大田々根子は大物主神の子孫だと答えたのです。

これにより、天皇は大田々根子を三輪山に大物主神を祭る神主としたところ、疫病も止んで天下泰平となったということです。

 

 

古事記の丹塗矢伝説と三輪山伝説において異なる点は、先ず「神の子」が、大田々根子命もしくは「櫛御方命」だということ。

神の子を生んだ母は、玉依姫とほぼ同じ名前の「活玉依姫」という女性です。

活玉依姫の父親は、三島溝杭ではなく「陶津耳」、もしくは先述した「奇日方天日方武茅渟祇」となっていること。

そして、大田々根子が見つかったのは、古事記では「河内之美努村」で、日本紀では「茅渟縣陶邑」とされていることです。

このように古事記の媛蹈鞴五十鈴姫の物語、三輪山伝説、さらに山城国風土記の丹塗矢伝説とは相違点が多々あり、一見同じ出来事を題材にした話だと気付かないが、武茅渟祇三島溝杭玉依姫など共通もしくは類似のキーワードが交互に現れることは、これらの物語が無関係でないことを証明しているのです。