【古代賀茂氏の足跡】阿遅速雄神社 | 東風友春ブログ

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高鴨社の現在の祭神「阿遅志貴高日子根命・事代主命・阿治須岐速雄命・下照姫命・天稚彦命」の五柱の神の内、「阿治須岐速雄命」については記紀に見えない神名ですが、高鴨社では味鉏高彦根神の御子神としています。

 

しかしながら、葛城から遠く離れた大阪市鶴見区放出東には、阿遅速雄神社(以下、速雄社)が存在します。

速雄社は、延喜式神名帳に「摂津国東成郡 阿遅速雄神社」と記載された古社であり、社号の「阿遅速雄」は「阿治須岐速雄命」と同義のものかと考えられる。

 

 

阿遅速雄神社

所在地/大阪府大阪市鶴見区放出東三丁目

御祭神/阿遅鉏高日子根神(迦毛大神)、草薙御神劔御神霊(八劔大神)

例祭/七月十八日(夏祭)、十月二十日二十一日(例大祭)

天智天皇(三十八代)七年十一月、新羅の僧道行、尾張国熱田宮に鎮り座す御神劔、天叢雲劔即ち草薙御劔を盗み出し、船にて本国へ帰途、難波の津で大嵐に遇ひ流し流され、古代の大和川河口であった当地で嵐は更に激しく、これ御神罰なりと御神威に恐れをなし、御劔を河中に放り出し逃げ去りたり。(之が地名となり、放手、放出、今「はなてん」と云ふ)

【阿遅速雄神社御由緒】より

 

阿遅速雄神社(以下、速雄社)の現在の祭神は、阿遅速雄ではなく阿遅鉏高日子根神、そして草薙剣の御神霊を配祀しています。

社伝によると、天智天皇七年(668)に、熱田宮から草薙剣を盗んだ道行は、帰路神罰に遭い、剣を水中に投棄して逃走した。

その後、草薙剣を拾った里人によって、現場近くに鎮座していた速雄社に奉安されたとの逸話が伝わっています。

つまり速雄社は、草薙剣盗難事件以前から、すでに存在していたらしい。

 

後この地の里人、この御劔をお拾ひ申上げ、大国主命の御子、阿遅鋤高日子根神御鎮座の此の御社に合祀奉斎すること数ケ年後、草薙御神劔の御分霊は永遠に当御社に留まり座し、奉斎す。御神劔は天武天皇(四十代)の皇居、飛鳥の浄見原宮に御うつし申上げ更に朱鳥元年六月、皇居より尾州熱田の御社に奉還し給ひ、永へに熱田神宮に鎮り座します。

【阿遅速雄神社御由緒】より

 

 

古代、この辺りは内海(河内湖)になっていて、外海(瀬戸内海)へは、上町台地北端を流れる水路によって通じていました。

速雄社の立地は、この水路から河内湖に入った辺り、寝屋川や大和川から流入した土砂により形成された低湿地帯だったようです。

すなわち、道行は暴風雨を避けるため、河内湖に避難したところで、草薙剣を放り捨てたようです。

これが、神剣を「放ちてむ」から「はなてん(放出)」に転訛し、地名説話となっているのです。

 

是歳、沙門道行、草薙剣を盗みて、新羅に逃げ向く。而して中路に風雨にあひて、荒迷ひて帰る。

【日本書紀】舎人親王(720)天智天皇七年より

 

この草薙剣の盗難事件は史実だったようで、日本紀に簡潔な記事がある他、熱田宮の史料等でも同事件について触れている。

尚、「尾張国熱田太神宮縁記」では、道行によって草薙剣が二度盗み出されており、一度目は伊勢にて剣が自ら帰り、二度目は帰路を見失った船が摂津に漂着し、或る人に神剣の霊が神懸りして事が露見したため自首し、最期は斬刑に処せられる、やや誇張された内容になっている。

 

 

水辺に鎮座していた姿から、「住吉大社神代記」(731)では当社を住吉神の「子神、味早雄神」としており、もともとの祭神は海神だったのかもしれない。

又、「大神分身類社鈔」によれば祭神を「味鉏高彦根の御魂」と記し、「神社明細帳」(1879)や「大阪府全志」(1922)にも祭神を味鉏高彦根神一柱のみとしていることから、八劔大神を配祀としたのは近年のことのようだ。

 

しかし、味鉏高彦根神を祭神としながらも「阿遅速雄」の社号に関してはどこにも説明が無い。

速雄社は、古代には「阿遅經宮」又は「浦明神」と称し、のち「八剣大明神」と呼ばれたことから、「阿遅速雄」とは草薙剣そのもの、もしくは草薙剣を依代とした味鉏高彦根神の別名と解した方が良いかもしれない。

 

 

速雄社は本来、草薙剣を奉安する必要性から、草薙剣を味鉏高彦根神の御神体として造られた宝殿だったと考えてみるのも面白い。

もちろん草薙剣は、神器として高天原から皇室に伝えられ、宮中から伊勢宮に遷された後、倭建命の崩御によって熱田宮に祭られていたもので、味鉏高彦根神の剣とは違う、筈だ。

天之尾羽張、天羽々斬、大葉刈と、これら古代の剣は、名が似通っているせいか混乱がある。

しかしながら、少なくとも味鉏高彦根神は「剣」と深い所縁があることだけは確かであろう。