麻美とたこパ 前編 | chiakisstoryのブログ

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碧い海の中に,上から光の筋がスーッと伸びていた.
海底には岩がゴロゴロとあって,その一面には,ピンクや緑の珊瑚礁がにょきにょきと生えている.
その周辺には十数匹の黄色い魚が集まっていた.
互いに距離をとりながらスルスルと泳いでいる.
私はカメラを構え,理想の一枚を追求していた.
後方では笹パイをはじめとするテニサーのみんなが,ガイドの人に離されまいと足をバタつかせている.

3月,私たちは座間味島に来ていた.
沖縄本島からさらに西へ40Km離れたこの場所はダイビングスポットとして国内有数の地だ.
春の海はもう少し寒いかと思っていたけれど,穏やかで,せわしいのは笹パイのバタ足ぐらい.
彼らの様子も何枚か記録しておこう.
ガイドさんがイソギンチャクの方を指しているので見てみるとカクレクマノミが顔をだしている.
ゆらゆらと揺られるイソギンチャクはふかふかの毛布のようだ.
みんなが顔を見合わせてはしゃいでいる.
表情なんてわからなくても興奮が伝わってきた.
それをまた,ぱしゃりと写真に収める.
さっきから人ばっかり撮ってるし.
でも,みんなのシルエットもまた美しい.
特に萌(もえ)は人魚のようにも見えた.

一時間があっという間にたち,酸素ボンベの残量が底を尽きたので,我々は船に上がった.
甲板へあがると,日差しがかなり眩しい.
そのままダイビングショップへとスクリューを回した.
どちらかというと老舗の部類に入るであろうこのショップはところどころボロい.
黒ずみのついた木の机や剥がれかけたポスターがそれを物語っている.
「砂川(すながわ)さん,ありがとうございました」
中年の男に目を合わせると白い歯を二ッと輝かせる.
「麻美ちゃん,お父さんにも砂川が会いたがってたって言っといて」
一昨年,見た時よりもすこし白い髭がまじっている気がする.
「もちろんです.父も会いたがってましたよ」
あの人に座間味に行ってくるといったら珍しく,砂川さんのとこか?と聞いてきた.
父はこのダイビングショップの常連で,私も小さい頃からよく来ていた.
だから,家族ぐるみの付き合いがある.
「今は忙しい感じか〜」
「夏には顔出せるかもっていってたんで背中押しときますね」
「たのむよ〜」
「はい,まかせてください.またお願いします」
「おう」
そう言って砂川さんは右手を縦に振り上げる.
私もそれに応えるように一つ,お辞儀をした.
そのまま私たちはショップを出ると,目の前には白い砂浜でできた道に沿って沖縄らしい琉球松が並んでいる.
着替えと後片付けをしていたらすっかり日が傾いていた.
このまま宿に向かって重くなった足を運ぶ.
砂浜にビーチサンダルがめり込む.
これだけがだるい.
「麻美,最高だったよ」
萌が一番にお礼にきた.
白いロングスカートに麦わら帽子,相変わらず今年の流行をグッと凝縮している.
「ねー」
大学二年生の春休み.
いや,もうほとんど三年生か.
今年の夏から就活が始まる.
そのまえに一度ここに来ておきたかった.
自分で企画し予約をして友達を案内するのは初めてだった.
そこまでするぐらい,この場所に来たかった.
すっかり泳ぎ疲れて,キャリーバックを引きずる腕は痛いし体も重い.
それでも後ろを振り返ると,オレンジ色に染まる雲と夕日が海に反射していて綺麗だ.
やはり来てよかった.
足を止めて一人,また一人とカメラを向けてその美しい海岸線を心に染み込ませている.
そんなみんなの喜ぶ横顔をみると疲労感が充実感ヘと昇華していく.
大学生にしてはお高めの旅行だし,強引に連れてきてしまった後ろめたさを感じないこともなかった.
でも,きっとみんな満足しているだろう.
このまま少し休んでいたかったけど
「みんなー,このあとはバーベキューだからもういくよー」
「「はーい」」
予定がぎゅうぎゅうだ.
ちょっと詰め込みすぎちゃったかも.

宿に荷物を置いてBBQ会場へとやってきた.
念のため髪は結んだ.
ここも父と何度か来たことがある.
キャンプ場と併設されていて他にも二、三組お客さんがいた.
海の近くにあり,下は砂浜で,ビーチサンダルの間から入ってくる砂がくすぐったい.
中には虹色の貝殻の破片も混じっていた.
簡易テントが張ってあって,その下に背の低い正方形の机がある.
真ん中が鉄板になっていてすでに炭に火がついていた.
椅子には背もたれがついていなくてちょっと体力的にきついかも.
私はオーダーが取りやすいように端っこの席に座った.
お店のひとが用意してくれたステンレスのお盆にはお野菜やお肉を串に刺してあり,すでに焼くだけになっている.
そそくさと奥の席に座った笹パイの顔からは「腹減ったー」の文字が浮かび上がってくる.
「生のひと〜」
飲み物のオーダーをとり,少し離れたところにあるカウンターにいる緑色のエプロン姿の女性に注文すると
「ちょっとここで待ってて」
と言われた.
その場でビールサーバーからジョッキがいっぱいになるまでビールを注いでくれる.
勢いよく注がれて泡がふわふわしていた.
樽にはオリオンビールと書かれている.
萌と手分けして配膳した.
彼女は居酒屋さんでバイトをしているとだけあってジョッキを一度に何個も持っている姿がたくましい.
こういうときに気がきくのはやっぱり萌だね.
「まだドリンクない人?」
代わりに訊いてくれるし.
問題なさそう.
「じゃあ,幹事,お願いします」
「はい,1日目,お疲れ様でした.
ドリンクは二時間飲み放題ですが明日もあるので,飲み過ぎないいようにしてください!
それじゃ,かんぱーい」
景気良く笹パイが一気にグラスを飲み干した.
「ぷはー.いやー,沖縄さいっこう」
日焼けしたのかすでに酔っ払っているのか彼の顔はもう真っ赤だ.
萌も応戦するように豪快にビールを飲み干す.
「麻美,今日はありがとう」
「こちらこそー」
「泳ぎうまいし,スケジューリングも完璧だしほんと尊敬」
ちょっと食い気味にガツガツ言ってくれる.
私はそれを耳で受け止めながら鉄板に油を引き串に刺さったお肉を綺麗に並べた.
「萌の気遣いも尊敬〜」
「またまた〜」
満更でもなさそうに白い歯をのぞかせて目を細める.
そういえば,白いスカートから黒いTシャツになっている.
「バーベキューなんて久しぶりにしたよー」
「うちもだよ」
記憶を辿ると大学一年生のゴールデンウィークに和くんとみんなでいったバーベキューが思い出される.
あのとき以来か...
余計なことを思い出して,幸せな気分に水を差される.
『ご自身の"本心"を検めてからでも遅くないかと...』
と言うあの女の表情はたまに夢にさえでてくる.
そんなのお構いなく
「このお肉おっきー」
「このソーセージも太いよ」
「ちゃんと火,通るかな〜」
とかみんなでワイワイ盛り上がっていた

牛肉を食べ終えると,歓談モードになった.
少し冷えてきたので持ってきていた黄色い上着を羽織る.
そんな中,
「ところで,みんな,就活どうしてる?」
笹パイが同期のみんなにひっかかる話題を投げてきた.
現実逃避に訪れた南の島も,それを完全に忘れさせてくれるだけの効果はなかったのだろう.
先輩方の顔が少し引き締まったのがわかった.
私の場合,就活は来年からだけど,インターンは今年から参加しなければならない.
もちろん強制参加ではないけど,周りがみんなやっていると,やらざるを得ない.
最近の大学三年生の就活は夏や冬に企業が提供してくれるインターンに参加するのが鉄板ルートになっている.
「とりあえず,エントリーは片っ端からした」
「俺もー」
少し同調圧力が働いているのだろうか.
就活組はみんな苦悶の顔を浮かべては顔を見合わせている.
「俺はコンサル業界第一志望でさー,一月までに大体面接してきたけど,あんまり納得できる結果じゃないっていうかー」
「コンサルはもう始まってるのか」
「まあ...」
「そういうの誰も教えてくれないよなー,ちょっと準備期間がな...」
来年は我が身かもと思うと,急に生々しさを感じる.
ちょっと,みんな空気重いよ〜と言って場を和ませたいところだったが,流石に空気を読んだ.
しかし,
「私も,業界研究とか始めましたー!」
萌がやや誇らしげに明るい声で言う.
それが彼女のいいところだ.
「おー」
笹パイが感心したように声を上げる.
正直私もびっくりして,いつもぱっちりしている目が余計にぱっちりしていたと思う.
「え,男はもういいの?」
思わず本音がこぼれる.
「ちょっと,麻美〜,そんなきょとんとしないで」
「それはちょっとごめん...」
「男も大事だけど,今はそっちに集中しようかなと思って」
彼女はカバンの中から手帳を取り出し誇らしげに開いた.
「合説の予定入れてみました〜」
「「おー!!」」
驚嘆の声が各々の口から溢れる.
「あ,これ,俺も行くやつだ」
笹パイがそう言う.
「二年生でも行っていいんだ」
「まあ,年なんて側から見るだけじゃわかんねえだろうし行くだけならいいよな」
みんな切り替えが早い.
私は「恋愛ばっかだと思ってた萌が急に...」という気持ちがまだ切り替えられなかった.
私だって,この前までは木部ちゃん達とアプリ作ってたし...
強がってはみたもののハワイアンズ以来,ちょっと和さんと顔が合わせづらくなっていた.
だからLINEでのやりとりが多くなってしまってほぼ幽霊スタッフだ.
それに...
あの件以来,私の時間は止まっている.
男を引き摺っているのは私の方なのか...
「あと,ガクチカも作らないとと思って,いろいろ調査中です」
一方の萌はこうなると止まらない.
「「あー,それなー」」
ガクチカ,学生時代力を入れて頑張ったことは?という定番問題の通称.
「それはなんかしらやっといたほうがいい」
「まちがいない」
上級生が少し眉間に皺を寄せて顰めっ面をしながら首を上下に振っている.
その表情からは苦労が窺える.
現状を聞けば聞くほど,萌が大人に見えた.
正直度肝を抜かれた.
変な焦燥感で冷や汗までかいている.
夜の浜風のせいか余計寒く感じた.
その後食べた,こんがり焼かれたとうもろこしは,完全に意識の外だった.

それから東京に帰り一週間も経たずに,新大久保のカフェにいこうと萌に誘われた.
このカフェは三階建てのホステルの一階に設置されている.
ホステル自体は,おひとり様の海外旅行客がメインターゲットみたいだ.
バックパッカーたちがホステルの入り口を頻繁に出入りしている.
店内は木目調のおしゃれなテーブルに打ちっぱなしのコンクリートの壁,天井からのペンダントライト.
クレバーそうな若者がMacBookと睨めっこしながら,コーヒーを飲んでいる.
「いいとこ知ってるじゃん」
「え,そう?」
「新大久保ならもっと韓国風のお店に行くと思ってた」
「あー,そういうことなら,行きたいところはもう大体ねー」
「そういうのさすがだよね〜」
「そうかな〜,でも,インスタでおいしそうなの見つけちゃうとね〜」
「あー,インスタは罪だよね〜」
「それなー,コスメとかもどんどん欲しいのみつけちゃって」
「いっぱい買ってたもんね〜」
今日は昼過ぎから,ひたすら韓国コスメ店をめぐった.
就活に際して新調したいとか言ってたけど.
「この人が使っててさ〜」
彼女はインスタでインフルエンサーらしき人のプロフィールを見せてくれた.
キラキラした投稿を定期的にアップしているのが一目瞭然だ.
「何の人?」
「今やってるドラマの女優さん」
「あー」
「麻美,韓流ドラマ見ないもんね〜」
「まあね〜」
私は愛の不時着ぐらいしか見たことないけど,萌はいろいろ見ていた.
そのおかげなのか街中にあるハングル文字を読んで意味を教えてくれる.
「それで?合同説明会はどうだったの?」
「あー,業界研究の仕方とかエントリーシートの書き方とか習った」
「へー,難しそう」
「そー,もう何からやればいいかわかんなくてー」
「やっぱ就活って大変そうだね」
「面接も,私喋るの緊張するし」
「萌,意外と初対面苦手なタイプだよね」
「さすが.わかってるー」
「まあ,一応友達だし」
「一応ってひどくない?」
「で,どういうこと訊かれるの?」
「え,スルー?ガクチカとか?」

萌は少し口を尖らせる.
「あー,この前言ってたやつね」
「私なくってー」
「男漁りとか?」
「大した成果がなー,って,あっても面接じゃ言えないでしょ」
「そういうもんかなー」
「そういうもんでしょー」
「麻美はなんかある?」
「えっ,いつも一緒にいるじゃん」
「でも,麻美の場合は内緒で何かやってそうじゃん」
「じゃあーどっちにしろ萌には内緒じゃん?」
「これは何かやってるな?」
「まあ,ちょっとした探偵業みたいな?」
絡みがだるいのでちょっと含みを持たせてからかう.
「なにそれ」
「証拠集めとか」
「本当に?」
「守秘義務があっていえな〜い」
「守秘義務?」
「かっこいいでしょ」
「それ真似しようかな」
「ガクチカで?守秘義務で言えないです,みたいな?」
「そうそう」
「んー」
「なんかないかなー,真面目に」
萌は一度ため息をつき伸びをした.
「まだ作れるんじゃん?」
「まあねー」
「萌はどういうことがやりたいの?」
「んー,特にないけど,みんなでワイワイするようなのがいいかなー」
「それならもうテニサーでやってるじゃん」
「そうだけど,バイトとかでそういうのがあれば」
「あー,それなら私も一緒にやってもいいかなー」
「でしょ?なんか宛てない?」
「んー」
頬杖をついて天井を見上げる.
萌が何か持ってきてくれたらなー,って思うけど自分で何とかしようとは思えない.
向こうからやってこないかなー.
そんなとき,一枚のチラシが目に入る.
「イベントスタッフ募集...」

思わず口に出る.
「え,どうしたの?」
「ほら,そこの壁」

思わず指を刺す.
「本当だ」
「募集要項,英語でコミュニケーションが取れる方」
「喋れる」
萌も私と同じ文学部だった.
日常会話ぐらいは不自由ないことは知ってる.
「気になる方はスタッフにお声がけくださいだって,やってみる?」
「当然!」
急に彼女の目がメラメラと燃え始めた.
「麻美もやるよね?」
「私?」
「他にだれがいるの?」
「えー,ここから家まで遠いしー」
「一緒にやって,お願い」
そんな下手に出られても.
「んー」
「じゃあ,話だけでも一緒に聞いてみよう」
「まあ,それなら」
「よしきた,すみませーん」
萌は手を挙げてスタッフを呼ぶ.
それに反応した男のスタッフが私たちのところへやってきた.
「どうなさいました」
Tシャツから上腕二頭筋が盛り上がっている.
紳士的だが少しやんちゃな雰囲気も出ているさわやかな好青年だ.
ネームプレートにはDICE(ダイス)と書いてある.
「あのチラシってまだ募集していますか?」
「イベントスタッフですか?」
(流暢な日本語から察するに多分大輔さんのイングリッシュネームだな)
「そうです」
「してますよ」
「お二人ともですか?」
「はい」
「私はとりあえずお話を聞いてみたいです」
「わかりました」
「社長が後30分ほどで帰ってくると思うので,それまでこちらで待っていてもらっても良いですか」
「はい,お願いします」
彼は一瞥して私たちの元を後にした.

40分後ぐらいにようやく社長がやってきた.
ホステルに入ってきた瞬間に,すぐに社長だとわかった.
私たちは改めてDiceに呼ばれて,奥の事務室まで通された.
事務室は一人の人がようやく事務仕事ができるだけのスペースで一台のパソコンが置かれている.
眠気覚まし用のミントも机においてある.
書類も一応立てかけられているが揃えられてるとは言えない.
彼は福山と名乗った.
細いけどギラギラとした目が印象的な男だ.
「毎週木曜日,三階の公共スペースで簡単なフードパーティをやっているんだけどそれの支度と運営をやってもらいたいんだ」
「はい」
「二人とも英語はできる?」
「私は日常会話程度ですが七海さんは留学もしていましたし,料理が得意です」
「ほう...うちのお客さんは韓国人が多いんだけど,見た感じ韓国に興味ありそうだね」
「はい」
萌は元気よくこたえる.
「そっちの君は?」
「一応」
彼は私を舐めるようにみると頷いた.
「OK.とりあえず,来週と再来週のパーティを手伝ってもらっていいかな」
「...」
「試用期間さ,そこでフィットしていると思ったら正式に契約しよう」
「はい,ありがとうございます」
「じゃあ,また来週,16時にここにきて」
「「はい」」
そう言って私たちを追い出した.
ちょっとあわただしそうだ
Diceが気にかけてくれていたのか,事務室のすぐそこに立っていた.
「当日は僕が案内すると思うからよろしく」
彼はにこやかに私たちにいった.
萌は嬉しそうにニコニコしている,
Dice狙い?
って,それはないかー...
私たちは身支度をしてお買い物袋を持ちホステルを出た.
出る際に受付の女性が手を振ってくれた.
最寄りの駅まで向かう.
「なんかすっごい,進んだ感じしない?」
「何が?」
「就活」
「あー,うん」
「無理やりバイトすることになって怒ってる?」
「別にー」
「じゃあなんでちょっと不機嫌なの?」
「別にー」
別に萌には関係なかった.
ただ少し,あの福山っていう社長が気に食わなかった.
なんていうか,上から目線っていうか,雰囲気も冷たい感じだし.
「ふーん,来週の木曜日,16時だからね」
「はいはい」
「もー」
「行くから」
どっちみち,萌一人で行かせたくなかった.
「本当に?」
「うん,来週の木曜日,15:45分に新大久保の改札ね!」
つい,語気が荒くなる自分に驚いた.

一週間後,三月も中旬.
電車に乗ると薄手のコートを着た人の姿がこの前よりも多い気がする.
朝のニュースでは桜の開花予想日が発表されていた.
電車を降りて待ち合わせ場所に指定した改札を出る.
萌は改札の外でスマホを操作していた.
「早いね」
私が声をかけると顔を上げて
「まあね」
と一言.
彼女も灰色のコートを着ていた.
髪は染め直していていつもより明るい.
彼女はスマホをしまい
「行こー」
と声を出す.
「気合い入ってるね」
「もちー!!」
さて,どうなることやら.
新大久保のカラフルなメインストリートには日本ではあまり見慣れない赤や黄色の派手な看板があった.
韓国は行ったことあるけど,確かにこんな感じ.
脇道に入っても韓国風の街並みは保たれたままだ.
少し歩くとホステルが見えてきた.
「着いた着いた」
「本当にたのしそうだね」
「まあねー」
入り口から中に入る.
裸足で店内を歩いている黒人女性とすれ違うのも日本では馴染みが薄くて不思議な感じがする.
Diceが受付の奥から私たちの元へやってきた.
「こんにちは」
「「こんにちは」」
「今日は僕が案内係です.こちらへ」
彼はエレベータの方を指差す.
3階で降り,奥の公共スペースに通された.
うちのリビングぐらいはあるだろうか.
ソファーにテレビ,移動式の机が4つ,簡単な流し台もあった.
ソファーでは一人の眼鏡をかけた若い男がヘッドフォンで音楽を聴いている.
Diceは机を二つ並べて簡易的にミーティングスペースを作り,ひとまず座るように促された.
まず最初にそれぞれにホステルのロゴが入ったエプロンをそれぞれに渡した.
「今日は,たこ焼きパーティをやるから,18時までにたこ焼きの生地を作って欲しい,材料はあるから」
Diceは冷蔵庫の方に手をのばしてに私たちに目配せした.
「レシピは袋に書いてある通りで大丈夫」
料理,というほど大層なものではないけど,こういうのは結構好きだ.
萌ともたこパは何度かしている.
「それなら,任せてください」
ここにきて少しだけやる気が出てきた.
「あと,チラシが何枚かあるから,それをしたのカフェに来た人に配って」
「はい」
「時々覗きに来るけど,受付にいるから困ったらいつでも言って」
「あ,ありがとうございます」
「あと,卵はキッチンにいる大垣さんにもらって.じゃ,よろしく」
そう言って彼はあっさりと部屋を出て行ってしまった.
それだけ?
と二人で目を大きくして目を見合わせた.
任されたと言うことなのだろう,
立ち上がり,すぐそこにある冷蔵庫を開いた.
中にはスーパーの袋があり,青々とした万能ネギがはみ出している.
他にたこ焼きの粉とタコ,揚げ玉に青のり,紅生姜,ウインナーまで入っていた.
袋の裏面にはレシピがついている.
「私,卵もらってくる」
「わかった」
萌は黒いエプロンをすると,一階にあるカフェにあるキッチンへと向かった.
私もエプロンをし,髪を後ろで結う.
シンク下の収納スペースを開け,中に包丁やまな板,ボウル,計量カップがあることを確認した.
さてと,始めようか.
といっても,30分ぐらいあれば支度は終わりそうだ.
まだ,16時15分ほど.
(5時半からチラシを配るとしても40分ぐらい時間を持て余しそう)
こういうところも,試されているのだろうか.
まあ,初見だったらそれぐらいかかるかもだけど.
とりあえず,萌がすぐ帰ってくると踏んでボールの中にたこ焼きの粉と水を計って入れた.
すると予想通り,萌が帰ってきたので卵を加える.
玉がなくなるまで,丁寧にかき混ぜた.
その間に萌はネギやウインナーを刻んだ.
下準備を全て終わらせるまで15程度といったところだ.
「そういえば,たこ焼き機がない」
萌が,気付いた.
「私,Diceさんに訊いてくる」
「了解」
私は室内の暖房で食材が傷まないように冷蔵庫に戻す.
簡単に使った道具を洗い,手が空いたので,椅子に座った.
すると,
「Hey guy!」
ずっと音楽を聴いていた男がヘッドフォンを外し,話しかけてくる.
途中からすっかり存在を忘れていた.
「Hi」
エプロンをしている以上,無視をするのも悪い気がしたので応じた.
彼は英語で,これから何が始まるのか訊いてくる.
話し方的に韓国人ぽいな.
私はたこ焼きパーティをやるから,参加してほしいとお願いした.
お願いしたと言うよりは,パーティの話し手を見込んでスカウトした感じかも.
彼は食い気味にイエスと応じた.
それから,電車がこみすぎだろとか,おすすめのフードはないかとか世間話を持ちかけてくる.
萌,早く帰ってこないかな.
...Diceと遊んでるのか?
「I still have work(まだ仕事が残っているから)」
生地は冷蔵庫に入れてあるしここを離れても問題なさそうだ.
とりあえずその場をあとにして一階へと向かった.

エレベータを降りると予想通り萌はフロントの近くでDiceと喋っていた.
私は萌の視界に入らないように近づき,腰のあたりに飛びついた.
「わっ!!」
萌は思ったより大きな声を出す.
「わっ,じゃないでしょ」
「...」
彼女はDiceと二人で悪びれた顔を浮かべた.
「たこ焼き機は?」
「あったよ,裏の倉庫に」
「ふーん,上も大体終わったから持っていって?」
「麻美こわーい」
まったく.
「チラシは配ってるの?」
「チェックインした人に配ってます」
Diceが答える
「フロアの人にもお願いします」
「...わかりました」
はぁ.
思わずため息がこぼれる.
私ばっかり働かせるなんてありえない.
それも,作業とかマジだるい.
人に任せるに限る.
無意識で萌の恋路を邪魔しているのか...そんなんじゃないし.
よく見るとちょっと歳もはなれてる.
Diceは大学生に手を出さなければならないほど女に困っているタイプでもなさそうだし.
萌のタイプともきっと少し外れている.
ただ,少し後味が悪い.
「やっぱり,私が配ります」
Diceからチラシをもぎ取り,カフェのお客さんに笑顔で一枚一枚丁寧に配った.

18時,私と萌とDiceの他に公共スペースに10人ほど集まってた.
事前に一人で持ち運び可能な机を二つずつ二島できるように合わせて四つ並べ,その上にそれぞれたこ焼きプレート一つと,たこ焼きの生地,具材を置いておいた.
大体,私がさっき下でチラシを渡したときに見た顔だ.
アジア系,おそらく韓国籍の男女が6人で最大勢力.
席に座るように促す.
さすがに全員座ると手狭ですれ違うだけのスペースはないな.
BGMとして,少し古くなった洋楽が流し始める.
「First, I would like you to introduce yourself(はじめに,自己紹介をしていただきます)」
全体向けに私が喋る.
萌は初対面の人が多いと,若干人見知り気味になる.
この調子だとホストは私かな.
読者の皆さんには日本語でお届けします.
「俺,パーク,韓国から来ました」
さっきのヘッドホンの男だ.
しっかり,私の隣に陣取ってくるけど気にしない.
「私はスージー,ジェニファーと,クリスティーナは友達で私たちも韓国から来ました」
彼女らは三人組.
アメリカンニックネームだろう.
スージーは顔がモデル系でスタイルもいい.
ジェニファーはおしゃべりが好きそうなタイプ.
クリスティーナは可愛いけど,あまり血色が良くない?人形?メンヘラ?
「私はTom,トルコ人」
体格が勇ましく,白い肌が紅潮した彫りの深い顔だ.
物静かそうな雰囲気から武道の精神を感じる.
ドラゴンボールに出てきそう.
私の島は合わせてこの6人.
萌の島はDiceがうまく回している.
「たこ焼き,食べたことある?」
三人組の一人が首を横に振る.
たしかジェニファーっていったっけ.
三人の中では一番しっかり者のようだ.
「じゃあ,見ててください」
私はたこ焼きの生地をおたまで掬いたこ焼きプレートへと流し込んだ.
「俺にやらせろ」
ヘッドホンのパークがやってくれそうなので,任せる.
綺麗に球型に焼くには終わりが肝心だということを過去のたこパで学んでいたので特に心配不要だ.
三人組の誰かがインスタのストーリーにでもあげることを見越している.
大体流し終えたので「こうやって具を入れてください」と楊枝でタコを入れた.
お箸でやりたいところだけど,このトルコ人にもやってもらいやすいように配慮している.
正直なところ,共通の話題でもない限りお話で盛り上がるのは厳しいから,できるだけ料理に参加してもらう方針だ.
ひっくり返し方を教えると三人組が楽しそうに実践する.
少し話しづらいのか男二人はその様子をまじまじと眺めていた.
ひとまず休憩.
(あー,スマホが気になる)
春休み,ずっといじっていたから少し依存気味かも.
私も最後までぼんやりと三人のたこ焼き捌きを見ていた.

「いただきます」
カタコトの日本語でドラゴンボール系のトムが言ってからたこ焼きを喰む.
私もそれに続いて,熱々のたこ焼きを頬張る.
あっつい.
少し生焼けの生地だけなら適温だったけど中のタコが熱々でつらい.
人形系のクリスティーナの目が大きく見開いた瞬間もばっちり見えた.
この仕事,毎回こういう感じならそこまで悪くはないかな.
このまま平穏に終わりそう...と思ったのが誤算だった.