すみません。10月のお話は難しかったかもしれません。
しかし、今回、お伝えしたように身体だけを健康にすることは難しく、「生命は常に一つ」の存在である以上、「生き方」「考え方」が、身体の使い方や生活習慣にも出てきてしまい、それが身体を形成します。
ならば、「どう生きる」のか「どのように考えていく」のかが、健康を保つ為には非常に大切になってきます。
昔の人の「生き方」「考え方」が強い身体を作っていたのだと思います。
会員さんに教室で言ってる事があります。
「簡単なことを習いにきても意味がないでしょう?簡単なことは自分で調べればいい。難しいことだから習いに来る価値があるんです」と。
私自身、昔の日本人の身体の使い方、生き方、考え方は、奥が深いと感心させられています。吉川先生がおられなければ、興味もわかなかったかもしれません。いまだに難しいと思っていますが、掴んでしまえば簡単です。
そして、また難しいがやってくる!(笑)
生きる事は成長です。
他と共に調和する
ヨガとは調和という意味です。動物は一個として完全調和して生きています。しかし、人間は一人では調和できない存在です。
常に何かと誰かとの関係性において調和することが出来るのです。その為に他と共に生きる必要があるのです。
人間にとっての自然は、自然法則に隋う事ではなく、自然からも自分の意志からも自由に生きることです。自由とは、自分にも身体の中の調和システムのも隋わないことです。
人は働きたいのです。誰でも何かの役に立ちたいと願っています。労働することは、他との触れ合う機会を作り、労働することで他との調和を形成し、生きる原動力としたいのです。働く事は人間の生きる要求であり、生きている証になるものです。
「働かざる者食うべからず」ではなく、働いて腹を空かして食べれば食の美味しさを味わう喜びを実感できるのです。
人間は常に他との接触を求め、言語を作り、道具を持って自他の関係性の間に発生する調和を求め続けています。互いに調和する感覚を共有して安定性を保つ営みを生活と云います。その共同性を裏切り犯す行為を犯罪として法律を作って戒めあいます。
人は生活を通じて自他の調和の姿を創造しようとしているのです。人との出会いは新たな調和を創造する機会となるのです。
事実を歪めて生きる創造する力
人間は神経系の中枢である頭が異常に発達して、身体から独立した『意識』と言うものを作りあげました。
そのために、身体の要求を無視して身体に無理を強いたり、身体を壊してしまったり、過労死するまで酷使したりしてしまいます。
本来、身体の要求に従っておれば、疲れる前に飽きて眠くなってきます。そこで止めれば壊さないのです。
いろいろな理由をつけて身体を無視してしまうから、身体が痛みや熱を発して病むことに集注して頭の転換をしようとします。
本来、身体は部分を組み合わせて作られたものではありません。最初は一個の細胞の全体があって部分が作られたのです。
身体は本来、全身が有機的につながって全体で一つです。生命は常に一つの存在です。
指一本を動かしたり、切ったりして全身が連動しています。しかし、意識では指一本の微細な動きが全身に連動していることは、なかなか自覚しにくい。身体が鈍っていれば余計に感覚しにくくなってしまいます。
真剣という事は全身が統一せざる得ない状態であること。身体が意識せずに無意識に動いて、しかも、自然な動きになっている状態が全力発揮です。
人間の最大の特徴は『事実を歪曲できる能力』です。貧乏の中に人の心の温かさに感謝し不遇の中に希望を見出す。
人間は少しぐらいの毒も薬に替えてしまう程に不自然で、身体に悪い事をしても許容できる幅広い適用力を持っています。
苦を楽に転換できるのも、人間の脳の機能です。多くの人は動物次元の自然や健康を追い求めています。しかし、人間的な自然が弱まれば生命力は脆弱化します。