伝統宗教からみた
瞑想日常化の効果


瞑想を日常化することは、
仏教、キリスト教、ヒンズー教、どの伝統的な宗教でも重要視され、推奨されています。

ここではそれぞれの宗教の例を簡単に紹介したあと、
瞑想と祈りの違いについて、我が魂の師フーマン師から学んだ重要な理解についてお伝えします。



仏教

瞑想は修行の一環として重要な要素です。

仏教の教えによれば、瞑想を通じて自己の内面を観察し、心の浄化を図ることができます。
具体的な例として、毎朝目覚めた後に座禅を行うことで、一日の始まりを心穏やかに迎えることができます。(正確には禅は日本に伝来した仏教の修行法のひとつで宗教ではない)
また、日中にも短い瞑想の時間を設けることで、忙しい日常生活の中でも心を整えることができます。


キリスト教

祈りを通じて神とのつながりを深めることが重要視されています。祈りは瞑想の一形態と考えられています。具体的な例として、朝晩の祈りの時間を設けることで、日々の生活において神との対話を持つことができます。また、教会での礼拝や聖書の朗読も瞑想の機会となります。
これらの実践は日常生活における瞑想状態を促進し、内なる平穏を得る手助けとなります。




ヒンズー教

瞑想を通じて自己の内なる神性を発見し、神との結びつきを深めることが目的とされています。
具体的な例として、朝のサンカルパ(願い事や目標を意識する儀式)やヨガの瞑想の実践が挙げられます。これらの実践は、日常生活を通じて自己の内なる神性を実感し、穏やかな心を保つ助けとなります。

このように、仏教、キリスト教、ヒンズー教などの伝統的な宗教でも瞑想を日常化することが重要視されています。
中でも、密教やキリスト教神秘主義など
秘教的要素が強まるほど、瞑想の比重が増えるようです。瞑想を日常生活に取り入れることで、心の浄化、神とのつながり、内なる神性の発見など、多くのメリット、ありがたいごりやくを得ることができます。


瞑想と祈りを一つに

僕の 魂の師 ハワイのシャーマンでもある

フーマン師は、

瞑想と祈りを統合することの重要性を説き、ある段階からその実践的な教えを伝えていました。

魂に帰る瞑想では、まず、日常の無意識にどっぷりと浸かった人間としての 私 (ほとんどの時間 頭に意識が上っています) を一休みして、
内側の静寂や平安の感覚に触れていきます。

その安らぎは原初のもの、
母体の中の安らぎや、
更に 生まれる前の、
分離の世界にやって来る前の絶対安心 の世界。

全てが安らぎ、
沈黙する世界が、実は本来 身の回り全てを優しく包み込んでいることを、体験的に理解します。

更に、、
詳細は省略しますが、身体を通じて 覚醒のセンター、愛に溢れた魂の座へと、体験を深めます。
その過程で、神聖なるもの、私たちが決して頭て理解できない、遥かに超えたるもの 

その臨在に触れた時、私たちは、

自分にできることは 
何一つないのだ 

ということを悟り、

畏敬、畏怖が

やってきます


そして、、

それが 祈り となり

慈悲 とは何か

が言葉を超えて

私 を包み込みます

入り口は様々でも、
一なるものは ひとつ 

当たり前ですね😊

共にこの 

至福に満ちた旅を

始めてみませんか?