社会的手続きの罠 | “re.MOON”日記~Bodyworker&OfficeworkSupporterちあきの徒然

自分の大切な存在が亡くなって。


どうしたって悲しかったり、辛かったり、もう文字では言葉では表現のしようない「気持ち」とか「感情」が。

自分の中に湧き起こるわけです。

それはもう、とめどなく……。


でね、そういう、ともすれば見ない・感じないでいた方がラクなんじゃないのか…、忘れてしまえたら楽なんじゃないのか…、そう思ってしまう自分の内側にあるモノ。


逃げてしまおうとか、忘れてしまおうとか、思ってるわけじゃないのに、

そうなることが、現実的に続くのが、社会で生活している「人間」。


亡くなった人が旅立つ為の儀式に始まり、亡くなったことに関する手続き、はかなりの時間と労力を使います。しかも、初めての体験なことが多い。そちらに意識が、頭が向かいます。


そうするとね、感情……「悲しい」、「切ない」みたいなことを、忘れるの。

置き去りになる。ラクになる。


そこにね、逃げ込めてしまえる。そんなふうに感じたんだな~。

逃げてる意識なくても、そうなるの。


一時、そんなふうでも良いと思う。

でも。

置いておかれているだけで、自分の内にその「哀しみ」はそのまんま在るわけなの。

見ないで逃げていると、それこそ、亡くなった時のままに……。

そして、ふとした瞬間に時間ごと引き戻される。


そのまんまじゃ、癒されないと思う。

私自身が、愛してるからこそ、愛されているからこそ、

今、私の内側にある気持ち、大事に見つめようと思う。