周りと協調性があって
周りを立てながら自分も意見を言えて
イキイキとしてて
お化粧バッチリで
電車の中でパソコン打ってて
打ち上げで楽しそうにビール飲んでる
みたいなイメージw
でも社会に出てみたら
わたしは会社人としては、組織人としては、
全然機能しないということが判明した。
頑張っていれば慣れるだろうと思ったけど
無理だった。
やりたくないことは顔にでるし
上司に、それ無駄だと思いますとか言うし
飲み会も全然楽しくないし
すーごい細かいミスばかりするし
イメージしていた社会人になれなくて
愕然とした。
できないなら、できるまでやればいいのかもしれないけど、別にやりたくなかった。←ここに困った。
社会でうまくやるために頑張らないといけないのに馬力が出ないことに困った。
気持ちを操作できないことに困った。
やろうとしようにも、体が言うことを聞かない。
やる気が出ない。
やる気を出さなければいけないのに
出ない!
そのことに、困った。
それで心療内科にも通った。
周りは優秀な人ばかりだったから、自分のダメさ加減がより際立った。
そして2年で銀行を辞めた。
でもその後の塾業は、大変なこともあったけど楽しかった。
がんばらなきゃと思わなくても勝手に努力ができた。(努力とは思っていないけど)
好きなことだったから。
人の成長を見るのも楽しかったし
そこに直接伴走できるのも楽しかったし
社会用の顔はたまに持てば良くてw、素直な状態でいられるのも楽だったし
コミュ障だと思っていたけどコミュニケーションとれたし
それまでポンコツだと思っていた事務作業も、自分の関わり度合いの深さと全体像のわかることなら十分にできるんだなと自信がついた
向いていないとか
やりたくないとか
やる気がしないとか
社会的にはそれは逃げであるとか
甘いこと言うなとか
若いうちは苦労しろとか
私も散々言われ、怒られまくったけど、
今思うと、なんて私は自分に素直で、自分のことを良くわかっていたのだろうと思う。
自分の心のコントロールに散々困ったけど
そもそもコントロールしなくて良かった。
素直な心の反応を否定して受け入れず、コントロールしようとするから悩みになっていた。
肯定できないから、自分の中でケンカが起きていた。
嫌なら嫌で良かった。
嫌いなものを好きになる努力。
その努力はそもそもしなくていいものだった。
でも、それはやってみたからわかったことで、経験できてよかったと思っている。
私は英語なら「努力」できるけど
化学や数学は努力できない。見たくもない…。
英語は好きで、化学や数学はキライだからだ。
自分の好きなものがもし体感としてわからないなら、自分の体が抵抗せず力の出せること(夢中になれること、奮い立たせなくてもできること)をやってみればいいのではないかと思う。
力を出そうにも出ないなら、それはきっと、やらなくてもいいことかもしれない。