わたしは、自分の院で ちあさん と呼ばれるのが好きです。

 

患者さんから先生(センセイ)と呼ばれるときにはいろんな場合があります。

 

センセイ と呼ぶのは 私の名前を知らない、気にしない、または忘れた方。

便宜上、なんと呼びかけたらいいかわからないのでそう呼んでくださる。

「ちょいとそこのおねえさん!」「〇〇さんの奥さん」って言うのに似た感じの、符号としての呼びかけです。

 

先生、と呼ばれたときは、そこまで私は偉くないよ、と思う事もあります。

 

また、こう思う事もあります。 この方は、私とともに 自分を健康に導こうを思っている方であると。

その時私は、身体のことについてさまざま学んできたものとして、自分を差し出せているかを考えます。

鍼や 灸や 手や ことばを通して、

「先に そのみちにそって 生きているもの」としての存在であるように努めます。

 

一般に、鍼灸師同士は センセイ・先生とも呼び合います。私の場合は、基本的には鍼灸師で先生と呼ぶのは、師匠とその師匠と兄のみ。

それはそう区別することで、師匠方への敬意を表しています。

 

そして、わたしの師匠はイギリス人なので、師匠の院ではスタッフは皆、先生が付けた愛称で呼ばれます。師匠も患者さんから時々ファーストネームで呼ばれています。

 

ちあさん と呼ばれるのが好きなのは、私が師匠のところで学んでことに近づいている気がするからです。

 

呼ばれ方は、距離感を表します。患者さんとの距離感は、鍼灸治療において とても大切です。

お互いの信頼関係、気の交流が、どうしても治療結果に反映される部分があるからです。

それを乗り越えて、世の万人に最大限の治療を施せるように日々研鑽と学びを積み重ねてはいます。

ただ、どこまでいっても、「気」を使って治療しているので、「交流」と「治療」の関わりは、西洋医学よりも強いものです。

 

まあ実際の所、私の治療を受けたいと思ってくださる方が、どんなふうに呼んでくださっても、それを毎日深く捉えるわけではありません。

こんなことこまごま書いても、今までの患者さんは気になさいませんように。

 

ではなぜ書くかというと。

こんなふうに、何かが心に引っ掛かった時に自分で整理して深く考え、人と分かち合うことは、鍼灸治療に活かされるからです。

鍼をする対象である目に見えない「一点」を、いかに的確にとらえるかを磨くための道筋のひとつだからです。