ウルトラマンに込められたキリスト教的メッセージ | なな

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『ウルトラシリーズ』は円谷プロダクションの作品ですが、

円谷プロダクションの初代社長である円谷英二さん、そしてその家族はカトリック信者で、

ウルトラシリーズ脚本担当の市川森一さんも↓

市川森一 - Wikipedia
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E6%A3%AE%E4%B8%80

1966年(昭和41年)に円谷プロダクション製作の子供向け特撮番組『快獣ブースカ』第4話「ブースカ月へ行く」で脚本家デビューする。その後しばらくの間は、子供番組を中心に執筆していた。

キリスト教の影響を多大に受けており、ウルトラシリーズの脚本では、新約聖書や神話に由来する名前を持つ怪獣や設定を多用したことでも知られる(ペテロ、バラバ、ゴルゴダの丘、アイスキュロス→アイロス星人、マナ→フルハシ・マナ、プロメテウス→プロテ星人、サロメ→サロメ星人など)。





……

また、1967年のウルトラセブン~2001年のウルトラマンコスモスまでの主題歌を作曲した
冬木透さん(本名 蒔田尚昊)もカトリック信者であり、

典礼聖歌388番・讃美歌21 57番・新聖歌40番「ガリラヤの風かおる丘で」
も作曲しています。






ウルトラマンに込められたキリスト教的メッセージ http://m.blogs.yahoo.co.jp/judahephraim/9642972.html


日本が世界に誇る特撮作品「ウルトラマンシリーズ」。ただの子供番組に思われがちだが、実は非常に奥深いメッセージ性を孕んでいる。その中には、キリスト教的なものもある。これは、「特撮の神様」円谷英二監督や、脚本で参加していた市川森一氏がカトリック系のクリスチャンであったことと無関係ではないだろう。ウルトラシリーズには、アロンとかペテロとかサロメ星人とか、聖書から名前を取ったと思われる怪獣も少なくない。

まず「イエスの受肉」について。これが、ウルトラマンによく似ている。人間を超越した存在であるウルトラマンは、人間を救うために地球へやってきて、普段は人間の姿をして暮らしている。同じように、全能者である神の子イエスは、人間を救うために地上へやってきて、人間の姿をして暮らしていた。







ウルトラマンが人間化するには2パターンあって、ひとつが「セブン型」。これは、ウルトラマンが直接人間に変身するもので、変身前と変身後の人格はひとつである(1人格がウルトラマンと人間の両性を持っている)。ウルトラセブン、ウルトラマン80、ウルトラマンメビウスなどがこれに当たる。







もうひとつが「初代マン型」。これはウルトラマンが、元々存在していた地球人に憑依して一体化するもので、変身前と変身後の人格は異なる(ウルトラマンと人間の各人格は互いに異なりそれぞれ単性)。初代ウルトラマン、ウルトラマンジャック(帰ってきたウルトラマン)、ウルトラマンタロウなどがこれに当たる。現在、正統派のキリスト教では「セブン型」を認めている。これを神学的には「両性論」と言う。しかし、現在は異端とされてしまったが、古代には「初代マン型」を認める神学もあった。これを「単性論」という。







『ウルトラマンA』のメインライターを手がけ、昨年亡くなった市川森一氏の業績も興味深い。何しろ、ゴルゴタ星でウルトラ兄弟が十字架に架けられるなんて話もあるのだ。







ちなみにその時登場するのが「殺し屋超獣バラバ」。市川森一がメインライターを務めた「A」にはシリーズ通じての敵として「異次元人ヤプール」というのが出てくるのだが、これがキリスト教的な悪魔のイメージで描かれている。実体を持たず、人の心に忍び込んできて、その善悪の狭間に挑戦するような存在だ。







最終回では、「サイモン」(聖書のシモンからの命名)という善良な宇宙人の子供が登場。怪獣を倒すウルトラマン気取りになってサイモンを苛める子供たちを見つけた北斗(Aの人間体)は、「ウルトラマンは弱い者いじめはしない」と言って子供たちを戒める。反省した子供たちは、今度はサイモンを大人たちから守ろうとするのだが、実はサイモンはヤプールの変装だった。だがそのことは、ヤプールのテレパシーを聞くことができるウルトラマンAの北斗にしかわからない。もし自分の正体をばらしたら、Aは宇宙に帰らねばならず、北斗はもう地球にいられなくなる。(そのわりには30年後に神戸でシェフやってたりするんだが。)だが自分がAだと言うこと明かさなければ、ヤプールの正体を暴くことはできない。そんな苦悩を知った上で、「私を撃てるか」と迫ってくるサイモンことヤプール。苦渋の決断で、北斗はサイモンを射殺する。それを見て、「もう、人の言うことなんか信じるもんか!」と怒り絶望する子供たち。―――それこそが、ヤプールの真の狙いだったのだろう―――北斗は、子供たちに真実をわかってもらうため、彼らの前でAに変身、最後の敵を倒した。地球に留まれなくなったAは、宇宙に帰る時、子供たちに次のようなことばを残した。







「やさしさを失わないでくれ。弱いものをいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえ、その気持ちが何百回裏切られようと。それがわたしの最後の願いだ」


イエスは、信頼していた弟子たちの裏切りによって逮捕され、特に「自分だけはあなたを見捨てない」と豪語していたシモン(サイモン)からは「イエスなど知らない」と3回も言われるほど見放された。北斗は、信用してかばったサイモンから裏切られ、罠にはめられた。そしてイエスは十字架で死んだ。北斗は、地球の人間として留まることができなくなった(つまり、地球人としては「死んだ」)。だが復活したイエスは、自分を裏切った弟子たちを責めることなく、赦した。そして彼らに、どこの国でも地の果てでも福音を届けるようことばを託して天に帰っていった。Aも、子供たちに「何百回裏切られようともやさしさを失わないでくれ。」と語り、どこの国の人たちとでも友だちになるようにと、ことばを託して宇宙に帰って行った。


(中略)






ウルトラマンとキリスト教の関係をもう少し見てみると、ウルトラマンの「スペシウム光線」のポーズは、実は十字架だ。『
帰ってきたウルトラマン』の主題歌の二番で「♪十字に組んで狙った敵は~」とはっきり歌われている。我々は、あのポーズ=ウルトラマンという先入観ができてしまっているので十字架には見えないのだが、言われてみると確かにそのとおりだ。昔、教会に(ウルトラマンのことは知らないであろう)韓国の学生たちが短期宣教に来た時、賛美の振り付けで十字架のポーズがウルトラマンそのもので、感心したことがある。

一方で、ウルトラマンには仏教的な要素もある。以下、『怪獣学・入門!』(JICC)に収録された島田裕巳氏の「日本人は、なぜ自力で怪獣を倒せないのか」という論文を参考に述べてみる。そもそもウルトラマンのデザインからして仏像とよく似ている(実際、女ウルトラマン「ユリアン」は観音像がモデル)。








(転載ここまで)



……

円谷プロといえば、「ゴジラ」の特殊撮影もそうですよね。

ゴジラの英語表記は「GOJIRA」ではなく、「GODZILLA」になっています。

ゴジラの中には「GOD」が入っているんですね。











本日のケムトレイル。
今日もせっせと撒いていました。(ノД`)・゜