海外出張がどうにか無事に終わった


出張前の2週間くらいは

出張の準備や事前に片付けなくてはいけない業務、いない間の対応依頼など

とにかく業務に追われて昼は食べない日もあれば残業もたくさんしたし

子供を置いてこんなに長く出かけるのは初めてで

緊張もしていた

 

アメリカからは、子供たちとは時差でうまく連絡が出来ないかと思ったけれど、ちょうど朝晩に連絡がとれて

「おかあさん今何時?」「今お風呂はいったよ」などと連絡をくれた

ホテルや食事、飛行機の窓からの景色の写真なんかを送ると喜んでくれた

 

うまく出来てるよ!と頼もしいLINEをくれたりもした

 

母には、アメリカについた時に一度だけ連絡をした


嫌な顔をされたら、会社には出張を断ろうと思っていたのに

出張の話しがあるんだけどと言った時、あっさり母は承諾してくれた


LINEはするものの、子供達と接することなく

それほど実家で困らせているような様子もなく

自分の事だけに集中できて、会食も、自分でとる食事も最初に一杯だけお酒を飲んだ

 

夜中に日本へ連絡をして仕事をしなければならない事もあったけれど

仕事だけしていればいいというのが随分と懐かしい感覚だった

 

いつの間に、二人とも大きくなったんだなぁ、と思った

 

息子は普段通りゲームに夢中らしく、あまりメッセージをしてこないので

娘にだけLINEで写真を送ったら

息子から「おかあさん、なんで〇〇(娘)にだけ写真送るの 俺にも送ってよ」とメッセージがきて、まだまだかわいいな、と思った

 

母は出発の前日に

「あとは会社から誰が行くの?空港までも一緒なの?」と聞いてきたので

「え?アメリカまで一人だよ」と言って笑ってしまった

現地では、合流するけど往復ともひとりだよ、と。

 

母は「あら、そうなの?」と驚いたように言ったけれど

私の、まだ慣れない「そんなの普通だよ」という言葉や態度を

最近はあっさり受け入れてきてくれている

 

ダメって言われるかもしれない。

お母さんが嫌がるかもしれない。

そうしたら、なにも出来ない。

 

長年私の中にはびこっていた「お母さんの賛成がないといけない」というマインドから

やっと抜け出してきている

 

今は基本的には頼らないで自立して生活出来ていること

一緒に住んでいないことも大きいと思うけれど

こんなにも楽になれるのか

 

育った環境のせいで母の存在、否定的な言葉の影響力が大きすぎて

東京に戻った時は母の態度や言葉に傷ついて号泣していた

どうして、どうしてと苦しかった

 

 

 

 

子どもたち二人にも、ありがとうと心から思った

母にも、ありがとうと素直に思った

 

アメリカから帰りたくないなという気持ちも湧いて、また同時に、早く子供たちに会いたいなぁ、娘のほっぺたにさわりたいなぁとも考えていた

 

日本について、駅からタクシーで家に帰った

娘にタクシーに乗ったよとLINEをすると、寒い中、父と一緒に表の通りで待っていてくれた

 

おかあさん!と駆け寄って抱き着いてきてくれた

「なんか外国の匂いだねぇ」といってぎゅうぎゅうと抱き着くのがかわいかった