父は、中小企業を会経営していて

引退して立場としては相談役になってからも

今年の3月まで毎日出勤して、設計の仕事をしていた。

 


小さい頃の記憶の父というと

お酒を飲んでいる姿

母に怒る姿、茶碗を座卓にたたきつけるところなんかが、印象に強くて

 

だけど、私は父が好きで

いつも晩酌する父の機嫌のいい時はあぐらの中に座っていた

ビールをついだり、泡をふざけてなめて見たり

小さい私は、辛い物やおつまみ系の食べ物が好きで

父のものをつまんだりしていた影響だと思う

 

 

 

 一方で、まさに昭和というような父には

きょうだい三人、なにかと叱られて、並んで立たされ

父が作った壁に貼ってあった家訓を

1人ずつ暗唱させられ泣いてしまって

うまく言えないこともあった

 

母は止めには入らなかった

自分も叱られるし、逆らえなかったのだと思う

 


中学校くらいからは、反抗期と言うか思春期になり

学校も保健室登校をしていた時期がある

父とケンカばかりになって

怒鳴られたり言い合いをしている姿を母は迷惑そうに見ていた

 

私は、どうしてお父さんが理不尽に私を𠮟りつけるのに

お母さんが味方になってくれないんだろう、

どうして私が怒鳴られているのに洗面所で寝支度をしているのだろうと

私を守ってくれない母の存在が苦しかった

 

 

 

 

父は。

当時の私は理解できていなかったけれど

父は私を溺愛していただけだと思う

父はただ厳しかっただけで

高校生になっても大学生になっても、就職したって

門限だの服装だの

そう言った事に、ただただ厳しかった

 

保健室登校だって

母は迷惑そうだったけれど

父は、それに関しては

責めるようなことは何も言わなかった

 

 

母は。

母は、父に自分が叱られたくないのだと

当時から私はそう思っていた

 

「お父さんに(母が)怒られちゃうわ」

「お父さんに聞いてみないと分からない」

「お母さんは、分からない」

「近所ですぐ噂されちゃう」

 

自分の意見は言ってくれなかった

 

私がいい子ではないから、迷惑なんだ

私がこんなに生きていくのが苦しいのに助けてはくれないんだ

保健室登校だなんて、恥なんだろう

 

当時から、そう思っていた

 

お父さんも、お母さんも大嫌い

なんでこんな家に生まれたんだろう、と思いながら何年もいた


 

私は、まず母に賛成してほしいと、応援してほしいと思っていて

いつも期待通りにならず傷ついていて

でも考えたら父は私のやりたい事に嫌な顔をしたことは無かった

 

むしろ世間体などには無頓着なくらいだったのではないかと思う

大学選びも、父は何も言わなかった

 

ただ、私は何をしたいと言っても嫌な顔をする母との関係で

すでにやりたい事が決められなくなっていた

 

大げさに言うと

金なら心配するなというスタンスの父だったけれど

私は、「何をしたら一般的には正しいのか」という思考で、

全く何がしたいのか分からなくなっていた

 

 

今になって

子供と家を出て、実家に帰って

母とのこと、兄とのこと、夫とのこと様々な事を通して

私は、父が好きだと、はっきり思うようになった

 

怒られなくなったからではなくて

昔は服装や門限などは一人娘とはいえ行き過ぎていたところはあったかもしれないけれど

父はいつでも私の味方でしかなかったのだと分かった

 

すっかり年をとって丸くなったし

私と兄にはあんなに厳しかったのに孫にはデレデレで

子供たちに生意気な口を聞かれて私があせるほどでも、父は笑っている

 

実家に戻った時も宅急便でたくさんの段ボールを実家に送った

父も、夫が一切無視していたり、むしろ嫌がらせで邪魔をしたりしていたのを知っているから

 

「これ、お前が一人で全部やったのか?これは偉業だな」などと言っていたし

別居だというのに東京駅まで迎えにきてくれた時は

嬉しそうにホームで大きく手を振っていた

 

私達が帰ってくるならと、実家の二階のトイレを新しくリフォームしてくれていた

 

迷惑そうな顔なんか全然しなくて

母からしたら呑気で悠長に見えたかもしれないけれど

 

 

先輩夫婦が実家にきてくれて

「もっとChiiちゃんの置かれている状況を理解してあげてほしい」と

言ってくれた時も

 

「実家でも、Chiiが一人で四苦八苦しながらも頑張っていて、こちらも見守っているつもりでいました」と

「Chiiに(結婚生活で)我慢させすぎたかもしれません」

 

と、知らなかった父の気持ちを聞いた

 

父がその時に、私が流産した時の話しを持ち出した時は驚いたけれど

 

「そうやって、流産してしまって」と説明しながら

涙をこらえていたのにも、驚いた

 

私がまずパートを始めて、

たいした収入もなく実家で肩身が狭いと思っていた頃に

バタバタと出勤の支度をしている姿を見て「偉いなぁ、親子三人で・・」と

しみじみ独り言のように言っていたこともある

 

英語の先生が出来るようになったことも

私が今年から正社員になったことも

たいしたもんだ、と言ってくれたのは

考えたら家族の中では父だけだった

 


手先の器用な息子が

緻密な工作やレゴなどを仕上げたりすると

「まったく、Chii譲りだなぁ」と言う

 

娘の顔がかわいい、かわいいと言い

小さい頃のChiiにそっくりだと言う

 

 

離れて住んでいた間は

年に1度か2度帰省するだけだったけれど

 

父だけが、今は私を大人として見てくれているのだと思った

 

今になって

私は、父に感謝を、はっきり感じるようになった

 

娘に

「おかあさんが子供の時はたくさん怒られてすごく怖かったんだけど

お母さんはおじいちゃん好きだよ

おじいちゃんはすごいんだよ」と言うと

 

お酒飲んで酔っ払うとしつこいけどね

嫌なこと言わないし、優しいもんね

 

と言っていた

 

そうだね、気は短めだけど優しいおじいちゃんだから長生きしてほしいね

 

 

素直に感謝できることも

長く生きていてほしいなんて思う事もなかったのに

 

私も大人になったし

父も年をとって

 

逆に、父のあぐらの中に座っていたころに

戻っていくような感じがする