ねずみの隣に猫

 

2021年11月12日の両国散歩をご紹介しています。

回向院の境内を歩きます。 

人も動物も無縁仏も水子も、生きとし生けるものが亡くなったら宗派を問わず、すべてを受け入れる回向院です。  どんなお墓があるんでしょう。

▲回向院境内の風景

周囲は背の高いビルに囲まれていますが、境内は大きな木々が沢山あり静寂が守られています。  右手奥の方に若い女の子の二人連れが見えますよ。

▲無縁仏の一角

南無阿弥陀仏の石塔が3本立っていますが、埋葬者の記入はありません。

ただ、左端の白っぽい墓には「竹本義太夫の墓」と刻まれています。  義太夫の元祖?

▲海難事故の遭難者の慰霊塔

文政10年に建立され、安政3年に再建されたとありますね。

安政の大地震で倒れたものを再建したのでしょうか?

 

江戸時代の海難事故の遭難者は、恐らくまともな遺体で発見されることはなかった

のでは?   多分、ほとんどが身元不明者だったのだと思います。

▲鼠の墓

鼠小僧治郎吉の墓がありました。 

江戸時代の大泥棒として有名で、誰もが知っていますね。

江戸の火盗改め長官の平蔵は担当が違うので、彼を追いまわす事はしませんでした。

単なる泥棒は町方の仕事ですもの。

 

「殺さず・犯さず・貧しきからは盗らず」の盗人三原則を守った盗人です。

伝説では、主に武家屋敷を狙い、奪った金品は貧しい者に分け与えた義賊とまで

言われています。

 

火盗改めの平蔵は・・・・武家屋敷を狙ったのは、武家は体面を恥じて盗難事件を申告しないので追われる心配が無い事。 

義賊のように言われるのは江戸っ子の作り話。

武家屋敷だけが狙われる事に、江戸っ子が快哉を感じたから義賊に祭り上げられた

だけで、盗った金品はすべて酒と女につぎ込まれたと思いますよ。

▲ねずみ小僧の墓

これがねずみ小僧の墓です。  

本名を中村と申すそうで、結局捕縛されて処罰されました。

 

墓の前には「お前立ち」の石が置かれています。 

墓石を削ってお守りにすると、ねずみがお宝を持ってきてくれると言ううわさで墓石が削られてしまうので、「お前立ち」と言う石を置いたのでしょう。  

江戸時代の噂は現在も生きていて、この石を削って持ち帰る人が後を絶たないそうだ。

▲ねずみの隣に猫塚

なんと「ねずみ」の墓の隣に「猫」が居ます。  

これではねずみもおちおち寝ていられないね。  ねずみに対するいやがらせかな??

 

猫塚にも物語があるようです。  猫塚横の看板にはこんな事が書かれていました。

   

   猫を大変可愛がっていた江戸の魚屋が、病気で商売が出来なくなり生活に困って

   いたところ飼っていた猫がどこからともなく2両の小判を咥えて来て魚屋を助けjまし

   ました。                

   ある日、猫は戻って来ませんでした。

 

   ある商家で、2両を咥えて逃げようとした猫を奉公人が見つけて殴り殺したのです。

   それを知った魚屋は商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘し

   魚屋とともに回向院に葬ったそうです。  その猫塚が写真です。

 

それにしても、なんで猫を鼠の横にと思いますねぇー。  

▲水子塚

この世に生を受ける事なく亡くなった子供の霊が水子塚として祀られています。

塚のまわりは子供のおもちゃの風車が沢山ありました。

▲無縁仏の慰霊碑

大火や震災、戦災などで亡くなった人々の慰霊碑です。  花が絶えません。

▲一般の方々のお墓

回向院にはこのような一般の方々のお墓もあります。  

もともとご近所にお住まいだった方々のお墓と思われます。

 

以上で回向院のご紹介はおしまいです。  

本所の両国と言えば・・・・本所松坂町を思い浮かべる人も多いのでは?

次回は本所松坂町の吉良上野介邸へ回ります。

 

 

          <今日の一曲>    愛しき日々     歌、  小椋佳