前回のアウシュヴィッツ第1収容所から

第2収容所のビルケナウまで移動

 

今回もMさんからいただいた最新の画像で

ご紹介させていただきます

 

前回同様、説明は最低限で皆様に感じて

いただければと思います

 

収容者たちはほとんどが列車で連れて来られた

 

 

どんな車両だったかというと

 

 

見るからに貨物車両

窓はこんな感じで椅子などない

 

ここに座れないほどの人が乗せられたという

だいたい300人くらいだったというから

山手線の通勤ラッシュなみだろうか

 

そう言うと耐えられるという人もいそうだが

乗車時間は何時間にも何日にもなったという

 

到着すると「命の選別」が行われ

「働ける」と判断されると有刺鉄線の向こうの

いかにもというような収容所へ

 

 

「命の選別」で「働ける」と判断された

人たちの中には「アンネの日記」で有名な

アンネ・フランクの一家もいた

 

フランク一家は列車でここに到着した

アンネと姉は2か月ほど滞在したが

別の収容所に移動した

 

アンネの母はここで亡くなったが

アンネの父はアウシュヴィッツで解放された

 

 

内部は

 

 

この1つのベッドに何人もの人たちが

肩を寄せ合って寝たという

 

 

こちらはトイレ

 

 

隣と近いとかプライバシーの問題よりも

トイレに行く時間が決められていた

しかも1日数回

 

ビルケナウはこのような爆破跡が数多く残る

 

 

ナチス・ドイツが証拠隠滅のために

終戦直前にガス室などを爆破したのだ

 

 

収容所だったけれども煙突だけが残っている

 

こちらは爆破されたのではなく

放置されていたここの建物の木材を薪代わりに

戦後、地元の人たちが持ち出したのだという

 

ここで起こった悲惨な出来事は悪名高く

たくさんの人が知っている

 

そんなユダヤ人を命懸けで救おうとした人も

たくさんいた

 

有名な人を3人挙げると

ウラル・ワレンバーグ

オスカー・シンドラー

杉原千畝

 

杉原千畝氏については以前

4.カウナス 命のビザ

でも書いたので、興味ある方は↓

 

 

 

この場所が保存され見学できる所であることに

絶対に意味があると思う

 

最後まで読んでいただきありがとうございます