今月、エルサレムの南西部にある広場に

「杉原千畝広場」が誕生し記念式典には

ご子息が参加されていた

 

杉原千畝氏の話は映画にもなり

今ではご存じの方も多いと思う

 

ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人に

日本の通過ビザを独断で発行し6000人以上の

ユダヤ人の国外脱出の手助けをした方である

 

しかしその舞台となったカウナスという町が

リトアニアという国にある事

そしてリトアニアの場所を知っている人は

少ないのではないだろうか

 

このリトアニアという国

13世紀にミンダガウス大公がこの地に

統一国家を建国して以来、隣接する大国に

領土を奪われては取り戻しの繰り返しで

最終的には1991年にソ連から独立し

現在に至る比較的新しい国

 

歴史を勉強するもバルト三国

(リトアニア、エストニア、ラトビア)は

高校の世界史でもほとんど扱われておらず

文献も極端に少ない

 

そんな中でもカウナスは

日本人が非常に興味を持って観光をする

数少ない町である

 

リトアニアの首都ビルニュスには

杉原千畝氏の顕彰碑がある▼

 

1919年首都ビルニュスがソ連に占領され

1939年リトアニア第2の都市だったカウナスの

日本領事館に領事代理として杉原氏は赴任する

 

カウナスに日本人はいなかった時代だが

西のドイツ、東のソ連の関係の行方には

日本の国運がかかっていた時期だから

情報収集という重要な任務がきっとあった

 

旧日本領事館内部▼

 

 

 

日本本国の許可もなくユダヤ人にビザを

発給するということは同盟国であった

ドイツに逆らう行為

 

それでも発給した勇気

その後、多くのユダヤ人がシベリア鉄道で

ソ連を横断しウラジオストクから敦賀に

入港するのだが、偽物のビザも多かったという

 

それを知りつつ見逃した役人の温情

命懸けで逃げた人、命懸けで逃した人

杉原氏だけではなし得なかった功績であろう

 

「何でソ連を通過できたのだろう?」

 

現地ガイドに確認すると

「ソ連は領土内のユダヤ人に早く出て行って

 ほしいという気持ちがあったし

 ビザ発給での現金収入も大きな目的です」

ソ連という国に長年占領された思いが

あるのか冷たい意見だった

 

日本だって出したのは「通過ビザ」である

 

オランダ領キュラソーが書類上の最終目的地に

なっていた(カリブ海にある島!)

 

当時のオランダ領事代理がユダヤ人を

救うために考えた逃走経路

 

キュラソーは岩だらけの島で大勢が

移住するには適さない

 

そもそも日本からキュラソー行きの船が

あるわけがない

 

当時オランダはナチスドイツに占領されて

いたわけだから「オランダ領」というものに

どれほどの信憑性があっただろうか

 

日本に来たユダヤ人はキュラソーには行かず

多くは当時入国ビザが不要だった国際都市

上海を経て各地へ逃れたのである

 

カウナスの旧市庁舎▼

 

「白鳥」と呼ばれるほどに横からの姿が美しい

 
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