パンドラの箱 | あとりえまかろん まかろんのへや

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ちいさな家族、まかろんとの日々をたいせつに紡いでいきたい‥ちいさな歩幅でゆっくりふたり歩いていきます。
つないだ手、いつもいつまでもはなすことなく‥

あと数日で、ちょっと大切なイベントを計画しています‥で、ちょっと思いでばかり、たどる毎夜です
おもたかったり、しんどかったら
スルーしていただければm(_ _)m



ブログはじめる直前、軽井沢へまかろんと‥

この一年半
ずっと探し物してました

元気な母との思いで
車椅子になってからの思いで
たどって

じつは、母がいきなり、不自由になったとき、母は自分見失うくらい絶望して、生きることも拒否して、私のことさえわからなくなりました
そんな母を慰め、叱咤して、励まして

えらそうなことをいうつもりはありません
ただ、たいせつな母に、唯一の家族であった母に、「母に」もどってほしかった
生きてほしかった
私をどんなときも、ギリギリのときも、それまで心から支えてくれた母に
笑ってほしかった

前向いて前向いて‥そう、いいつづけた
でも、ほんとは、私が前向いてなかった
母がみえなくなってから、わかりました
私、母にうしろ向くなといいながら、私はうしろ向くのがこわかっただけ
歩けた母をおもいだすのが、こわかっただけ
一瞬で、そして、理由のわからない、理不尽な状態で、自由うしなった母をまえに
母はむかしから、車椅子だった
だから、こんなことふつう、なんでもない‥そう、おもいこもうとしてた
どんな処置でも、介護でも、これがふつうだっておもいこんだ

そして、歩けた母との思いでを封印した
写真もなにも、クローゼットの奥の奥につっこんで
思いで話、しなかった
こわかった
母が言うかもしれないセリフ、「どうして?あのときは歩けたのに‥」、聞くのがこわかった

でも、ほんとは、すこし笑顔取り戻した母と、思いで話すればよかったんだと
こわくてこわくて
なにも話せなくなってた
母が元気になればなるほど、こわくてこわくて、話す時間みじかくなっていった

そのことに、母がみえなくなって、ようやくはじめて気づいた
それでも、おもいだすことはこわい

そして
それでも
すこしづつ、思いでたどりはじめました
懐かしい場所訪ねて

辛い
元気な母と立ってた場所
それ以上に、そのことに蓋して、母と話をしなかった自分とむきあうのが
辛い

でも
パンドラの箱をあけないと、まえにすすめない





まかろんと軽井沢‥

ふっきれたかというと、わかりません
でも、あの旅、元気な母と約束した、カサコソ落ち葉をまかろんと踏みにいく旅
私のなかで、ずっと凍りついてた時間がすすみはじめたのかもしれません
ゆっくりゆっくりですが‥

また、こんど、楽しい楽しい話だけ
耳をかしていただければ‥

まかろんと‥
みえない母と‥
そして、元気なときも車椅子のときも、そばにいてくれた母との時間を‥