わたしのための本、と言っても過言ではない一冊です。

 

『ブックオフ大学ぶらぶら学部』(岬書店)。

 

 

 

装丁、凝ってますよねえ。とくに裏表紙の右上。ブックオフをご利用された方ならご存知かと思いますが、商品に貼られている価格シールにそっくりです。現にわたし、この本を買った時に反射的に剥がそうとしちゃいましたもん。剥がれません。印刷です。

 

本書には、武田砂鉄氏をはじめとするさまざまなライター、著述家、マンガ家さん(全員ブックオフヘビーユーザー)による、ブックオフ(または新古書店)へのオマージュのようなエッセイ(とマンガ)が、全8点収められています。新書サイズで全175ページ。

 

以下、冒頭の「はじめに」より、引用させていただきます。

 

だれかとふたりで歩いていて、商店街のなかにブックオフが見える。

あるいは、だれかと車に乗っていて幹線道路の先にあの大きな「本」と書かれた看板が見える。

「寄ってもいい?」と聞くには勇気がいる。

まず、その人はそもそも本やCDが好きじゃないかもしれない。

それにもし本やCDが好きでも、中古品は好きじゃないかもしれない。

いちばん気まずいのは、古本屋さんも中古レコード屋さんも好きなのに、ブックオフだけはいやだというケース。

「なぜいやなの?」と聞くと、彼らには彼らなりの理由がある。雰囲気が好きじゃないから。本やCDの扱いがぞんざいだから。新古書店の存在こそが新刊書店の経営を圧迫しているから。

「うん。そうかもしれない」。

そうこたえてみるが、どうしても行きたい。あのブックオフにはずっと探している本がありそうな気がする。そればかりか、110円で売っている気がする。

 

ああ、もう、わかりみが深すぎる。

 

そう、いつも思うのです。「あのブックオフには何かがありそうな気がする。しかも、本なら110円、CDなら500円以下で売っていそうな気がする」と。

 

ブックオフは消費社会の象徴です。

 

オゾンの『恋のマイアヒ』(覚えてる?)がいまだに棚にずらり並ぶ店が、この令和の日本社会においてブックオフ以外にあるのでしょうか。ジェーン・スーが外国文学の棚に並ぶのが当たり前の光景となっている超いい加減な書店が、いったいこの国のどこかに他に存在するでしょうか。

 

大量に消費されたのちに、飽きられて見向きもされなくなったかつての「ヒット商品」が次々と集まってくる、現代の姥捨山、ブックオフ(←ひどい)。

 

でも、このゴミの山(←本当にひどい)から「自分だけの宝」を探すという、この上ない至福。店内に入った瞬間から、ドーパミンだかアドレナリンだかわからない何かがからだじゅうを駆け巡るあの感覚は、ブックオフ以外では体験できないのです。

 

そう、わたしは現代消費社会の掃き溜め(←本当に本当にひどい)を巡るトレジャーハンター。ブックオフに足を踏み入れる瞬間のわたしの気分は、秘宝を探して発掘現場を駆け回るインディアナ・ジョーンズ、はたまた、ソロモン王の財宝を求めてアフリカの洞窟に潜入するアラン・クオーターメイン、はたまた、アフリカの大地でレイヨウを捕らえようと一心不乱に駆けぬけるチーターです(ちょっと違うか)。

 

ブックオフよ、わたしの人生はあなたと共にあります。どうか、このコロナ禍を生き延びて、またわたしをめくるめく冒険の旅へと誘ってください。

 

 

……て、我ながらなんのこっちゃ。

 

 

コロナ禍でなかなかブックオフ通いができないため、ちょっと欲求不満になってるみたいです。しかも第二波に突入したっぽいからしばらく県外遠征は無理そうですし。あああああああああ。