支えられて | パティシエ 柴田武ブログ

支えられて

【支える人達】


18年ぐらいかな…名古屋タカシマヤのヴァレンタインの催事に出出したのは。



まだ「アムール」とはタイトルが違い「ヴァレンタインランド」として静かな会場で、日本一の売上は三越栄店でした。




多治見店から21時に到着するよう、作り立てのショコラを自家用車で運ぶ毎日。販売員も2人だけで十分でした。
たぶん、外国人シェフや辻口シェフ、青木シェフが最初に会場でサインを書き出したのが13年ぐらい前かな…







ヴァレンタインが変わりゆく時だったような。


あるタカシマヤの担当者が僕に「柴田さんもサイン書いて下さいよ」って簡単に話をしてきたんだよね。


「いやいや、いいから恥ずかしいやん」と断るも、「いや〜お客様は欲しがりますよ」「なわけないやろ」と断る。


そこに小学生ぐらいの男の子から「サイン下さい」と言われ、まだ今のサインより漢字ぽいサインでした。
男の子は喜び笑顔で会場を出て行きました。



しかし、中には
「柴田がサイン書いとる(爆笑)」「あの人、そんなに有名なの?」
と聞こえる声で言われ、なんども心が折れました……






8年ぐらい前かな…何とかランキングで160メーカーの中で、20位ぐらいをうろちょろしだしたのは。







百貨店の人達は外国人や東京のメーカーには気を遣ったり、広報も私達、東海エリアには少し冷たくも感じてました。



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しかし、それぐらいから少し風向きが変わってきたのです。





とにかく一生懸命に声を出し声を枯らしながら試食を。たちまち15位ぐらいに。




私は名古屋タカシマヤがオープンしてからのスタッフを知っています。彼らにお菓子、お菓子業界、海外のお菓子事情などを教えてました。








タカシマヤのスタッフの名前を覚えるようにしました。彼らの仕事、プライベートの悩みなども聞いて話しをしてました。





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シェ・シバタは多治見で生まれ誰も知らない菓子屋でした。失敗から学んでばかり、誰もやらない商品をやり捨てて、また作りの繰り返しでした。




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いつしかタカシマヤのスタッフがシバタの応援をしてくれるようになりました。
「うれしかった」 
僕にも出来るんだと少し思いました。





7〜8年前から毎年、アムール会場に毎日、足を運んで売り場に立ち販売、商品を運びました。





今日は、いきなり「皆勤賞、おめでとう」と小さなくす玉をプレゼントしてもらいました。




このタカシマヤのスタッフは全員、地元の方々です。




こんな私がシェ・シバタが日本一の会場で、更にコロナ禍でも一桁のランキングに今年もランクインできたのは、タカシマヤの仲良しチーム、またシバタのスタッフや心底、僕達のお菓子やショコラを愛してくれるお客様やタケらーという新しいファンの方々のお陰なんです。





大きなイベントには沢山のクロ子が居ます。



沢山の失敗やミスがあります。東海エリアのパティシエとして彼等が自慢してくれる事がなによりものやり甲斐なんです。
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人間、沢山の時間を共有する事で信頼が生まれ支えが生まれるのではないのでしょうか。



「皆んなで写真を撮ろうよ!」
今年も素晴らしい笑顔を頂きました。





来年は更に凄いショコラを出します!






ジェイアール名古屋タカシマヤのアムールは、まだまだ日本一を続ける素晴らしいチョコレートのアミューズメントパークなんです。


地元の皆様、冬の風物詩を来年もご期待下さい。




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