親孝行とは | パティシエ 柴田武ブログ

親孝行とは


両親を連れて箱根に来ています。



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体育会系の家庭でした。

寒い冬に道に裸足で出された事も、行きたい祭りに行かせて貰えなく机で宿題をやらされたり。



土日は剣道、野球で、どこの家庭よりも旅行もせず、誕生日も父が作ってくれた、うどんでお祝い。



特に貧しい訳でも無く金持ちでもなかったと思う。



学校に親、呼び出しがあったり、反発は沢山した。他の家よりも厳しかった。



双子だから、他の子供よりも倍のお金がかかっただろう。



皆はアディダス、プーマ、ミズノなのジャージ。俺達は、見ず知らずの変なジャージをお揃いで着てた。



剣道、野球に三人の兄弟は頑張った。しかし親に自慢してもらえる結果は一度も無かった。



サラリーマン家庭。


多治見は地場産業の陶器などが盛んで地元の人は当時は潤い羽振りが良かった。



オヤジは惨めな想いをしたそうだ。




二代目や資産家、自営業で金に不自由してないように見える家が羨ましく、憎かった。




シェ・シバタをオープンさせて母親は接客、洗い物をやりオヤジはお菓子の営業をしてくれた。



双子の弟は多治見駅で会社を休みチラシ配り。兄も皿洗いしてくれた。




2年ぐらいは赤字が続き、いつ潰れるか不安だった。ドカタで借金返済を考える日々だった。




人がスキーをやり休日に旅行しているのが羨ましかった。




17歳の時にフレンチレストランにタダ働きのバイトに入った。




職人を目指し、一般の人とは異なり、更に店を構えてからは「ウキウキした旅」など、出来なかった。




俺、もうじき44歳になる。




人より時間を大切にしてきたつもりだ。人より馬鹿にもされたり悔しく涙もしてきたつもりだ。




自由な時間が若い時に沢山あるのが、今は羨ましくない。


寧ろ不幸に思える。






「たぶん、この人は親孝行出来ないだろうな」



「たぶん、この人は苦しい人生を送るだろうな」



「たぶん、この人は後悔するだろうな」



なんとなく見破れるようになった。




親孝行とは、美味いモノを食べさせたり、良いホテルに泊まるのではない。



苦労をねぎらい、心地よい空間で時が過ごせれば良い。長い日を沢山すごさ無くても良い。



親に「こいつらを生み、育てて良かった」と親が思ってくれたら親孝行だと思う。



2年前から、こんな時間を年に一度ぐらい作り始めた。




俺の年代の親が最近、バタバタと逝っている。


もう、そんな歳だわ。

歩け食べれ、笑える今に



俺達は間に合った!!!



若い時より、人生、社会経験を積んでからの方が目線も近くなり素晴らしい時間が過ごせる。



いつまでも子供だが…



まだまだ俺達は上を目指すが、少しは安心させれるようになったよな。。。。



もう少し、親孝行の時間を下さい。



たけし、つとむ



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