大好きなホテルでぼーーーっとする予定が、
そのホテルで七顚八倒の一夜を明かしてから
はや十日、用心しながらではあるが
普通にご飯を食べている。
出てくるものも普通になったし、
脱水カサカサになっていた肌も
水が入ってきた。(つまり体重も戻った?!)
>゜))))彡
去る3月20日、新しい薬を服用することになった。
いつもの喘息のための錠剤と、冬から春先に
いつも服用するいつもの漢方(乾燥すると痒く
なるのでそれを抑えるもの)や軟膏をクリニックで
いただいた。
それに加え、処方されたコレステロール系の薬、
これがわたしには合わなかったらしい。
痒いことが日常化していたからというのもあった、
毎年冬から春は大なり小なり痒くなるから。
それにしても眠れないほど痒いし、気づけば普段はない
蕁麻疹も出ている。そこまできてようやく「薬疹?」と
思い当たり、新しい薬の服用をやめたらましになった。
気がついて薬をとめるまでの二週間ほどは、
夜中に目が覚めてかゆみ止めを塗ること数度。
日中はいつもの俳句的生活にいくつかの会議や取材や
原稿書きが重なり、(めったに来ない結社の宿題も)
そこに加えアルバイト先が少々バタバタしたことで
気持ち的にも体力的にも忙しかった4月、
合間合間に昼寝をし、休める時は休んでいたつもりだったが
休めていなかったようだ。
つまりあれは全てが積み重なって起こったものだったわけで
まだまだ未熟者やなぁ、自分の体調を把握しきれないのは。
顔がかわいい。
今日は平日の休日。
今日はあれしてこれして家の中(と自分の中)がすっきりした。
そういえばここ数か月、平日の休日は急いでいることをしているか、
寝てばかりいたなぁ。
それはそれで大事なことだけれども、余裕がないのはあかんね。
ほんま、気ぃつけや、わたし。
へーーーい。
すべて鳥のごはんになりました。
>おまけ(気持ちのモンダイかな?)
一月末頃、家の留守番電話に父の具合がかなり悪い旨の
メッセージが入っており、「携帯電話の着信拒否を解け」とのことだった。
わたしの携帯電話はこんな時のためにずいぶん長い間、
番号を変えず使っていたが、数年前のちょっとした事故で
番号を変えざるを得ず、だから今のものは先方は知らないはず。
彼女は誰にかけたのだろう?ごめんなさい、その番号の方。
(そんなわけで、ココロがザワザワしていたのも体力を持って
いかれた一因かもしれない。)
知っている人は知っていることだが、わたしは自分の家族との幸せを
選ぶというわたしのわがままで肉親と絶縁した。
2006年の3月末だった。その時のことはどこかに書いた気が
するが、mixiだったかYouブログだったか、
遠すぎてもうわからない。
さて、電話はその一本だけで、以降何もない。
わたしは幼少期から両親が離婚したら絶対父と一緒にいると
決めていたほど父が好きで、気にならないと云ったらそれは嘘になる。
あの時、(わたしにとって)どうしようもない妹とそれを手放せない
母を連れ出してくれた父だ(と思っている)から。
今後連絡があったからといってどうするかというと、なにもしない。
そう決めたので、あの日。