最近、仕事の伝え方で自分なりに反省することがあり、改めて自省しながら、これまでの経験も含めてブログにまとめておこうと思いました。
何度かこのブログでも伝え方については取り上げてきていますし、『伝え方が9割』というベストセラーの言葉に象徴されるように、伝え方の極意さえ習得すれば、人生の難所を鮮やかに切り抜けていけるはずです。しかし、実践において私たちがこれほどまでに伝え方という一見シンプルなことに苦戦するのはなぜでしょうか。
自己中心性バイアスという本能
人間は本能的に「自分の世界観」を基準に物事を考えます。これがコミュニケーションにおいて、目に見えない「認識の齟齬」を生みます。「自分はこう思っている、ゆえに自分の言い分は正しい」というのが、大小あれど人には考え方のベースとして少なからず存在しています。
・時間軸のズレ
上司が部下に「これ、急ぎでお願い」と頼んだとき、上司の頭では「明日の会議まで」を指していても、部下は「今週中まで」と捉えることがあります。ただこうした齟齬は、上司から「明日の会議まで」という具体的な指示があれば防げるような話です。
・仕事の質に対するズレ
「今回は大事なお客様なので特に質を重視した資料を作成して欲しい」という指示に対し、一方は「100ページの緻密な資料」を想像し、もう一方は「要点を3枚に絞った戦略的ペーパー」を想像する、といった質に対するズレも生じやすいです。これも時間軸と同様に指示出しする側の伝え方で防げる話です。
・名プレイヤーが名監督になるのが難しい理由
優秀なプレーヤーだった上司が部下に対し、「なぜこんな簡単なことができないんだ?」と苛立つようなことがあります。元々優秀なプレイヤーだった人には言語化しづらいセンスや能力が備わっているケースや、また自分が苦労して習得したプロセスを脳がショートカットしてしまう傾向があるため、相手の「未習得時の苦しみやセンスや能力で解決できないこと」を正確にシミュレーションできなくなってしまいがちです。相手視点の目線があれば、指導の伝え方は変わるはずです。
これらは伝え方問題でよく出てくるようなことですが、気を付ければ改善できることです。
正論の暴力
カーネギーの『人を動かす』が説くように、人は論理だけでは動きません。むしろ、感情を無視した正論であればあるほど、伝え方は難しくなります。
例を二つ挙げます。
1.会議で部下のミスを正論で完膚なきまでに論破して指摘する。内容は100%正しいとしても、皆の前で個人的な強い指摘を受けた部下は「次からこの人のために頑張ろう」とは思わなくなります。正しさが、協力者を敵に変えてしまう瞬間です。
2.面談で「期待しているよ」という言葉を、無表情でスマホを見ながら言われたらどう感じるでしょうか。メラビアンの法則が示す通り、言葉の内容と視覚・聴覚情報が矛盾したとき、人は「言葉以外」を真実として受け取ります。この非言語のコントロールが、伝え方を技術以上に難しいものにしています。
「相手の関心事」への翻訳
それではさらに伝え方の難所に進んでいきましょう。それは「自分の要望を相手の関心事に変換する」工程です。
社内サポートを受けたい時
社内横断PJ等で他部署に「人手を出してほしい」と直球で頼めば、角が立ちやすくなります。しかし、「このプロジェクトは今回〇〇という理由で全社的にとても大切で、忙しいと思うのですが、どなたか一人プロジェクトメンバーにサポートを出して頂けると助かります。今度のPJでは私の部署からもお手伝いしますのでお願いします」と伝えれば、相手にとっても状況が理解でき、また将来的に自分の部署が困った際にも大きな力になるメリットになり関心事に変換されます。
自分の要望をただ伝えるだけではなく、思いやりや配慮の言葉を少し入れるだけで伝わり方は随分変わるはずです。
伝え方は「技術」&「マインド」の二つが必要
伝え方が難しいのは、それが単なるテンプレートの活用ではなく、「相手に対する想像力」と「自分を律する力」が同時に求められるからです。
ここまで来ると見えてきました。
やはり伝え方に大切なのはいかに「相手の視点に立てるかどうか」なんですね。自分から見える景色だけではく、相手から見えている景色や見せたい景色を想像して伝え方に気を付けていきたいと改めて思いました。
荒巻