高千穂神社 祭祀 祠官
上掲『十社旭大明神記』では十社大明神の子孫が代々奉仕してきたといい、正和3年(1314年)の古文書には「宗重」という神主が、祖先である「承念」以来26代にわたって他氏を交えず奉仕してきたことを述べ、建武5年(1338年)の文書にも同じ名前が見えるが、その後の神主家の消息は不明である。一方南北朝時代からは、当神社領であった高知尾庄を10の地区に分け、それぞれに「宣命」と呼ばれる神官職が置かれ、阿蘇氏に属した三田井氏がこれを補任していたとされ、この「宣命」が各地区において神事を司るようになったが、こちらもその後の沿革は不詳である。