壬申戸籍(じんしんこせき) 



また、この戸籍では宗門人別の性質を残すため、寺、氏神の記載があった(1885年(明治18年)廃止)。また、妾(めかけ、しょう)二等親族として戸籍の登載を認められた(1882年(明治15年)廃止)。ほか、使用人、家来等は他人であっても養育している者は附籍として、その養育する者の戸籍に登載されていた(明治15年登載禁止。明治31年廃止)。

1886年(明治19年)、壬申式から統一書式を用いた戸籍へと変更が行われ、同年11月より徐々に移行され、1898年(明治31年)戸籍法によりこの様式は改製原戸籍として取り扱われた。この改製原戸籍は保存期間が経過した後に廃棄処分扱いとされていたが、市町村によってはその後もこれを閲覧に供していたところもあった。



1968年(昭和43年)被差別部落民かどうかを探り出すためにこの戸籍が用いられようとした事件が発覚し、同年3月29日民事局長通達により閲覧禁止とし、法的な廃棄手続きを経たものは法務局・地方法務局・市町村のいずれかにて厳重に包装封印して保管することになった。保管の理由として「遠い将来における学術資料・歴史的資料となり得るもの」としている。ただし、灘本昌久(なだもと まさひさ)は「現在、広く信じられている俗説に、壬申戸籍は、政府が差別を目的として作ったもので、解放令を無に帰すため、部落民にはほとんどすべてに『穢多』『新平民』という記載があり、現在でも壬申戸籍を見れば、たちどころに部落民か否かが判明するかのごとき誤解がある。(略)しかし、実際に壬申戸籍を見ればわかるが、確かに役場の戸籍係が様式に違反して、古い戸籍を引き写し『新平民』『穢多』などと記してある場合があるにはあるが、それは、例外的であって、99%は『平民』と記載されている」と指摘している。



現在、この戸籍簿は行政文書非該当の扱いとなっており、各地方の法務局に厳重に保管され閲覧は不可能である。学術研究目的での閲覧を許可するように求める声もあるが、現在公開された場合、人権侵害の問題を生じるおそれがあるものと認められるため、近い将来においてこれを開封開示して利用に供することは想定されていない。

21世紀において、壬申戸籍の情報公開請求をした事例が2001年(平成13年)と2004年(平成16年)にあるが、いずれも行政文書非該当を理由に却下されている。