釈迦如来(しゃかにょらい)
釈迦如来(しゃかにょらい、しきゃじらい)または釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)は、仏教の開祖釈迦〔姓名:瞿曇悉達多(くどん しっだった、クドン シッタルタ)梵語:Gautama Siddhārtha(ガウタマ・シッダールタ)パーリ語:Gotama Siddhattha(ゴータマ・シッダッタ)〕を仏(仏陀)として敬う呼び方。
上座部仏教における釈迦牟尼仏
上座部仏教(いわゆる小乗仏教)では、釈迦牟尼仏は現世における唯一の仏とみなされている。最高の悟りを得た仏弟子は阿羅漢(アラカン 如来十号の一)と呼ばれ、仏である釈迦の教法によって解脱した聖者と位置づけられた。
大乗仏教における釈迦牟尼仏
諸仏の一仏としての釈迦牟尼仏
大乗仏教では、釈迦牟尼仏(釈迦如来)は十方(東南西北とその中間である四隅の八方と上下)三世(過去、未来、現在)の無量の諸仏の一仏で、現在の娑婆(しゃば、サハー、堪忍世界)の仏である。また、三身(さんじん、さんしん)説では仏が現世の人々の前に現れた姿であるとされている。
本仏としての釈迦牟尼仏
大乗仏教の中でも、日蓮宗・法華宗では宗派の本尊とする本仏(ほんぶつ)が誰かという論争が有り、釈迦本仏論と日蓮本仏論の対立がある。このうち釈迦本仏論の本尊が本仏としての釈迦牟尼仏である。かつて天台宗においても唱えられていたようであるが、今では日蓮宗・法華宗でしきりに論じられる。法華経の如来寿量品第十六に登場する無量長寿の釈迦牟尼世尊がこれに当たる。ユーラシア大陸の古代インドで活躍し肉体を持ったゴータマ・シッダールタ(釈迦)を指すのではなく、インドで肉体を持って生誕した前の悠久の昔から存在し、入寂(にゅうじゃく、釈迦の死)の後も遥か将来まで存在して行くという信仰上の釈迦牟尼世尊である。無量の諸仏を迹仏(しゃくぶつ)とし、本仏釈尊のコピーに過ぎず、言わば、本仏釈尊を月とすれば諸仏は千枚田(せんまいだ、棚田)に映る千の月であるという論である。釈迦本仏論の宗門の信仰の対象である。久遠本仏とも呼び、日蓮宗総本山身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡)の寺名にもなっている。
なお、法華経では、釈迦如来はインドの菩提樹下で初めて覚ったのではなく五百塵点劫の遠い過去に成仏していたと説かれるが、涅槃経ではさらに未来について強く言及し、如来は常住不変であると説き、末法も最終的には方便説として否定されている。したがって法華経では久遠実成(くおんじつじょう)を説き、涅槃経では久遠常住(くおんしょうちゅう、くおんじょうじゅう)を説いたとされている。