チャララ☆ -6ページ目

チャララ☆

ウリハッキョとウリハッキョを通して育つ心と絆の話

アンニョンハセヨ、チェサミですチェサミ
いつもポチっとありがとうございますペコリ

4/22記事『誕生2週間の京都朝鮮初級学校へ・上』の続き
-----------------------------------

4時間目が終わり、昼食の時間です。
何人かの児童が注文弁当を取りに来ていました。唐揚げ弁当でした。

 

2階では、1年生の目は廊下の隅に釘付けです。
飛べなくなった大きなハチが跳ねていました。

図工の先生は、「近寄らないように」と言いながら、紙を丸めて退治していました。



2年生の教室では、机の上に幾つかの弁当が載っていました。
黒板には朝鮮語で「第一課 2年生」の下に、先ほど廊下に漏れ聞こえてきた
「~
답게(~らしく)
」の文字が書かれていました。
その下に“兄らしく”、“姉” “先生” “オンマ” “自分” “大人” “学生” 
の文字が。 やはり国語の時間でした。



5年生の教室では、昼食を食べ始めていました。
机がぎっしり埋まって、すこし窮屈そうです。
担任の先生が何か児童に話しかけていました。女性の先生です。

黒板には、「1、種の発芽」「2、種の構造 トウモロコシの種の構造」の文字が
消されずに残っていました。
廊下や炊事場を回りながら、授業を進めていたのは男性の先生でした。
かれは理科担当の他の学年の担任だったようです。

 

園児と低学年児童の下校時間です。
カバンをバスに乗せると、児童は運動場や校舎の裏の遊戯場に向かって
走っていきます。遊び足りないようです。

そんな児童の姿を左京支部の委員長が心配そうに見守っていました。朝大の2年先輩でした。

「衛星打ち上げ」報道と関連し、神奈川の朝中生が暴行をされたというので、
この何日間、登下校を見守ったと言っていました。
嫁が幼稚班の先生を、2人の孫も通っているとのことです。

バスが桜の花の下をぬうようにして、次々と出て行きます。
京都市内だけではなく、宇治市から通う児童もいます。
校長先生も乗り込んでいました。他の先生も通学バスに乗っています。
交替だとは言え、朝は7時前に学校を出発しなければなりません。


3月まで、京都第3初級学校は、幼稚班の園児を入れても
50人前後の
こじんまりとした学校でした。それが
4
月に京都第1初級学校の園児と児童を迎えれ、
「京都朝鮮初級学校」としてスタート。
園児、児童数も3倍に増え、通学範囲も一挙に広がりました。




しばらくすると、今度は高学年の下校です。
最初にホームルームを終えた4年生が靴に履き替えると、
入り口にランドセルを投げだすようにして運動場に散っていきます。
バスが出るまでの短い時間を惜しむように、男子児童はボールを蹴り出し、
女子児童は一輪車や、ホッピング、スクーターに興じていました。そこに5年生が合流します。

「4年生とサッカーの試合だ」 「それって、弱い者いじめにならない?」
そんな言葉が行きかっていました。

 

最後に教室から降りてきた6年生の男子児童が、運動場に向かって叫びます。

「お~い、下級生、ちゃんと並べなくちゃダメじゃないか!!

なるほど、ランドセルが山をなしていました。



高学年は最寄駅までバスで向かいます。
何人かの児童はチョチョン
(青年同盟)専従のボンゴに乗りこんでいました。
迎えに来るアボジ、オモニたちも少なくありませんでした。

左京から来たと言うオモニは「急にクラスメートが増えて楽しいようですよ」と、一言。

先生も話していました。第三のいたずらっ子が第1の児童の数に圧倒され、
おとなしくなってしまったとか、運動場がなかった第一の児童は時間があると
やたら運動場を走り回っているとか、遠距離通学に戸惑っているとか

でも児童たちは少しづつ順応しいるようです。


方面別に書かれた児童の名簿を片手に、少年団の指導教員は下校の指導に
大わらわでした。そんな男子教員を女子児童が取り囲んでいました。

「ソンセンニム、結婚しているのですか?」

「まだ」という返事に、女子児童は一斉に「えぇ~つ」との声です。
1から来た児童のようです。

男 ;「そのえぇ~って言うのは何?」

こども女の子 ;「もう、いい年でしょ」

こども女の子別の女子児;「かわいそう」

男 ;「それって


先生も初めての経験のようで、女子児童の集中攻撃にたじたじです。

5年担任の女性の先生は、何人かの児童を連れて校門を出て行きました。

近所の市内バスでの下校組のようです。


迎えに来た第1卒業生のアボジに「学校がなくなって寂しいのでは」と声をかけると、
「いや、京都の同胞社会でウリハッキョを守るためのベストの選択です。
子どもが通う学校を母校に思うようにします」
との返事が戻ってきました。

 

1969年に竣工した校舎も補修が必要です。
引っ越して間もないので、廊下には段ボールが積まれ、職員室や教室も片付かず
雑然としていました。

校長先生や副校長先生が言うように、「やるべきことが山積」のようです。
児童の指導や授業方法も微妙に異なるようです。
オモニ会とアボジ会の会則や活動の調整もこれからです。校歌はどうなるのでしょう?

それでも「すべてがこれから、何事も児童のことを中心にすえて考えれば、
自ずと最善の道が開けるはず」と、先生たちの表情は自信に満ちていました。

運動場を抱きかかえるように桜の花が満開に咲きほころんでいました。

校長が言うには、イチョウの葉が色づく秋口の景色もまた見逃せないとのことです。

階段の壁に貼られた、昨年度の少年団が作ったという大きなポスターの一節が
思い浮かびました。
そこには「8+5+8は21ではなく、もっと大きなひとつ
!と書かれていました。
21とは当時の高学年児童で組織された少年団員の数です。

運動場に落ちるギンナンを児童が争って拾う、その頃には京都第1と京都第3が合わさった
「京都朝鮮初級学校」もまた、きっと「もっと大きなひとつ」の学校になっているでしょう。 
IK



-----------------------------------
明日は京都朝鮮初級学校 初めての授業参観です。
アボジ会主催で学父母・教職員親睦のための焼肉交流会も行われる予定です。
いいスタートが切れることを皆さんも応援して下さいね
にゃ

良かったらポチっとお願いします
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村
アンニョンハセヨ、チェサミです*花*
いつもポチっとありがとうございますペコリ

少しお休みしてましたが、今日からブログを再開したいと思います。

私は朝鮮高校卒業後、東京にある、朝鮮大学校に入学しました。
政治経済学部というちょっとお堅い名前の学部で4年間学びました。
朝鮮大学校は、朝鮮高校卒業生や日本学校からの編入生が
全国から集まります。
そして、全寮制です。
4年間、寝食をともにするということは、本当に苦楽をともにすることで、
卒業して約20年が経つ今も根っこのところで繋がっていて、
何年ぶりに会っても昨日まで一緒に過ごしていたかのような
そんな不思議な、とても深い連帯感が生まれます。

私が入学した頃は、朝鮮大学校の歴史の中でもっとも学生数が多く、
所属していた学部も学内一と言われる学生数でした。
そのほとんどが男子学生で、女子は学年に1~3人。
私の同級生は多くて、それでもやっと7人いたくらいでした。

当時の学部気風からして、女子は「女子」と見なされず、
また女子も「女子扱い」を望むようなタイプではなかったので、
ほんとうにボロ雑巾のような扱いを受けたものです(笑)

その中でも、大多数を誇る関東勢で番長肌的な、
いわゆる「ジャイアン」的な存在のある男子は、
女子にはとても優しく、ちょっかいを出しながらも愛情に溢れていて、
私たちを決して忘れず、見守ってくれるお父さんのような温かさが
ありました。

その彼が、先日 長い闘病生活の末、亡くなりました。
闘病生活のことは、ほとんどみんな知りませんでした。
やせ細り、足が悪くなり松葉杖で生活している姿を
誰にも見られたくなかったようです。
男気のある、そしていつも明るい彼らしい選択だと思いました。

昨日、お通夜に参列してきました。
祭壇の明るく笑う遺影を見て、涙が止まりませんでしたが、
全国からほとんど集まった同級生で、「あいつのために笑って見送ってやろう」と
お酒を飲み交わしたことで、気持ちが切り替わったように感じます。

とんぼ返りで京都に戻ってきて、顔も見れなかったので
まだ実感が沸きませんが、彼は彼が笑顔を振りまき、
元気を与え、力を与えた全ての人達の心の中で
ずっと行き続けると思います。

今日、告別式です。
この時間、彼を思いながら見送りたいと思います。

長々と全くの私ごとですみませんでした。

明日からいつもどおり、ハッキョのことなど明るく更新していきますクローバー
アンニョンハセヨ、チェサミです花
いつもポチっとありがとうございます
ペコリ

先日、いつもブログを読んで下さり何度か『朝鮮学校のある風景』という雑誌に
記事を掲載して下さったウイルさんが私用も兼ねて京都に来られ、ハッキョを
取材されると言うことで、ハッキョでお会いしましたにゃ
そして、その取材記事をさっそくブログ(yahooブログ『トンポ・トンネ日々イモジョモ』)に
掲載したと連絡を受け読みました。
落ち着かないながらも、前へ前へ進んでいる子どもたちとソンセンニムたちの
明るくたくましい様子が浮かんでくるようでしたきらきら
了承を得て、転載します
四つ葉

-----------------------------------

【4月16日・月曜日】金閣寺の傍にあるの京都朝鮮初級学校へ。
2011年度、今年の3月までは京都朝鮮第3初級学校だったところです。
オモニ会の朴会長(2011年度)のブログ-『2011チェサミの軌跡』(現在は、『チャララ』
)には
度々、「訪問」しているものの、学校を訪れるのは初めてです。
壁には、「入学・入園を熱烈にお祝いします」と、新入生を歓迎するポスターが
あちこちに貼られていました。

 

新入生を描いたのか、歓迎する在校生が自らを描いたのか、個性豊かな
イラストに見とれていると、顔をのぞきこむようにして「アンニョンハセヨ」です。
東京チェーサムでは、「アンニョンハシムニカ」です。
京都はウリマルも優しく聞こえる「京都風」? そんなことを思っていると、
1階の幼稚班の教室から出てきて、トイレに駆け込む女子園児から
「だれのアッパ
(お父さん)
ですか?」との質問、ウリマルでです。
 
 

1階の幼稚班の教室には、「ゾウ班」、「クマ班」、「ウサギ班」、「ヒヨコ班」の
可愛い表示板がかかっていました。話しかけてきたのは、「クマ班」の園児です。
昼食中です。「ウサギ班」と「ヒヨコ班」の二つの表示板がかかった教室では、
床にいくつもの布団が敷かれていました。昼食後は、昼寝の時間なのでしょう。
園児にカメラを向けると、恥ずかしそうにうつむきながらも、小さな指はしっかり
Vの字をつくっていました。

2階は、低学年の教室です。
「愛そう!ウリマル(私たちの言葉)、ウリトンム(友達)」、「美しいウリマルを使おう」、
「話し言葉を正しく使おう!」、「5つの約束を守ろう
!
」などのスローガンが
廊下の天井に掲げられていました。
 

「5つの約束」とは、ウリマルを使う、あいさつをする、宿題と学用品を忘れない、
身だしなみに気をつける、友達と仲良くするの5つです。
ウリマルとあいさつが守られていることは、学校に着いて10分で分かりました。
 

4時間目の授業が始まりました。
「アンニョンハセヨ」と言いながら、階段を駆け下りていく一団。
「何年生?」と尋ねると、4年生との返事です。「何人いるの?」との問いには、
20人との答えが返ってきました。
全校生が園児33人を含めて、159人だと言いますから、1学年20
人前後になるようです。
先生をとり囲んで、「今日は何をするのですか?」、「かけっこ」-
そんな児童同士のやりとりが聞こえてきました。
「ハナ、トゥル」と、掛け声をかけながら、広い運動場を走っていました。

 
 
1年生の教室では、3時間目に引き続き図工の時間です。
机には、大胆な色づかいの作品が並んでいました。

「色を変えて描いてみなさい」、「できましたか?」、「ここも」、「もっとたくさん描きなさい」
-そんな先生の指示に、児童たちは「わかりました」、「できました」
とウリマルで答えていました。
幼稚班出身者が多いからでしょうか、先生はほぼウリマルで児童に話しかけていました。

作品ができ上がると、児童を集めて「品評会」です。

机から落とした色鉛筆を拾う児童がいたり、切りとって貼った残りの折り紙を
拾い集める児童がいたり、「品評会」のために行ったり来たりしたり、
時折、先生の「仲よく」との声が飛んだり、賑やかでした。

 

国語(朝鮮語)の時間なのでしょう、隣の2年生の教室からは、
답게(らしく)
」との先生の声と元気な児童の「イェー」の返事が聞こえてきます。
ドアが閉まっていて、教室の中をうかがうことができません。

その隣の3年生の教室には誰もいません。
黒板には「無欠席6日」と書かれていました。
音楽室から歌声が聞こえます。音楽の時間のようです。




高学年の教室が並んだ3階の廊下では、窓際で先生が穴が開いた
段ボールを掲げて児童に説明していました。
「太陽の光線
」、「日陰では
」、「発芽」との言葉が聞き取れました。
そして階段を下りていきます。ついて行くと、1階の教育会室の隣の
炊事場の冷蔵庫を開けて、透明な容器を児童に見せながら、
「温度も
」そんな説明をしていました。理科の観察のようです。

 

以下 続く・・・

(文・写真 出所;ブログ『トンポ・トンネ日々イモジョモ』)


良かったらポチっとお願いします
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村