NIUCで翔太と面会。


翔太はたくさんの管を体中に付けられていた。


自分で呼吸も出来ない。


病気で体がパンパンにはれ、血管が浮き出ていた。


その姿を見て、ごめんね、ごめんね・・・


翔太に謝ることしか出来なかった。


自分で産んだのに抱くことも出来ない、悔しくて仕方なかった。


少しの時間、翔太に話しかけた。翔太は眠って、私の話を聞いているように思えた。







5月11日


私の車いす&歩行訓練が始まった・・・。




この日は翔太の担当医から説明があるため、それまでには車いすに乗れるようにと頑張った。

(今思うと、あの時は正気じゃなかったな・・・)



午後、翔太の病状を父ちゃんと聞いた。


先生は翔太の病状を1つずつ説明してくれた。


聞いたことのないような病気を説明してくれるが、全く分からない。


病気をたくさんもって生まれ、その状態がとても悪いんだということは分かった。


あまり長くはないことも・・・。





先生の説明を受け、私は翔太に会いに行った。


新生児病棟の医師が入ってきた。


自分の思っていることを伝えた。


「こんなにたくさんの管を付けられて可哀そうです。体もパンパンになって苦しそうで・・・、


こんなに苦しそうにしている姿は見たくありません・・・。少しでも楽にさせてあげたい。」


先生はうなずいて


「お母さんの気持ち、よくわかりました。担当の医師に伝えておきますね。


お母さんの決断は1つの勇気です。」


そう言ってくれた。なんだかすっきりした気分になれた。

早朝、やっと眠れそうになり、うとうとし始めた時だった。

助産師さんが慌てた顔をしてやってきた。

翔太の心拍数が下がっている。すぐに出してあげないと命が危ない。と説明を受け、

手術の準備が始まった。

父ちゃんもいない・・・。不安で不安でたまらなかった。

でも翔太の方がもっと不安がっているだろうと考えたら、母ちゃん頑張らないと!!!

今にも崩れそうだったけど、冷静さを必死で保った。

手術室に運ばれ、全身麻酔がかけられた。

7時11分 出産。

1367g 42cm 翔太は仮死状態で生まれた。

夢の中でうなされ、涙を流しながら目が覚めた。病室のベッドにいた。

痛みが強く、「うーーー、うーーーー」言ってしまった(><)

翔太の姿がない。

父ちゃんが重い表情で病室に入ってきた。

先生から説明を受けたらしい。

「翔太は?」

「今、NICUにいて、先生が見てくれているよ。頑張って生きているよ。」

父ちゃんは翔太の今の状態を説明してくれた。いろいろな病気をもって生まれてきたこと、

これからどんな処置が行われるかなど・・・。私は全然頭に入っていかなかった。

翔太に会いたい。ただそれだけしか考えられなかった。

「翔太に会いたい」父ちゃんに伝えた。

父ちゃんは、翔太の状態を私に見せるのは・・・。と思ったのか、「痛そうだし、明日にしたら?」と言ってきた。

私はどうしても会いたくて仕方なかった。

看護士さんがやってきた。

「お母さん、ベッドのままだけど、赤ちゃんに面会に行こうか」そう言ってくれた。

看護士さんが二人掛でNICUまで運んでくれた。

主治医から今後の説明があり、早産の予防のため子宮収縮抑制剤の点滴の量を増やし、抗生剤の投与が始まった。


しばらくすると5分間隔の陣痛が始まった。


子宮収縮抑制剤の量を増やしても動悸が強くなるだけで、一向に痛みと間隔が収まらない。


22時ごろトイレに行くと出血があった。


看護師さんに診てもらうと、「おしるしかも・・・、当直の先生に診てもらおう。」と言われ診察室へ。


先生「子宮口が2cm開いていて、頚管も短くなっています。いつお産になってもおかしくありません。」


先生は産科部長に相談に行き、その間私は赤ちゃんの胎児心拍モニターとを付けベッドで待った。


翔ちゃんは元気に心臓を動かしている。でも・・・、胎動がない・・・。


翔ちゃん、一緒にがんばろ。そう願った。




産科部長と当直の先生がやってきた。


「お母さん、子宮収縮剤の点滴で心拍数が上がっているけど、大丈夫かな?もし絶えれるようだったら


赤ちゃんは元気だから、もう少し量を増やして頑張ってみようか。」と言われた。


私は「大丈夫です。赤ちゃんが元気だったら。」と言うことしかできなかった。


翔ちゃんにしてあげられることはそれしかないから・・・。出来るだけお腹の中で大きくなってほしいから。



その夜は、点滴の量が増えたことで心臓がバクバクし、不安で不安で眠れなかった。