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甲羅に似せて

蟹は甲羅に似せて穴を掘るそうです。私も日々の想いを
蟹が穴を掘るように綴っていけたら・・・。

今日は『ショコラ』と『シルシルミシル』ですね。楽しみ♪


ふと『笑神降臨』のサイトに行って、また動画を見ていました。ほんの短いCMなのに、次課長ワールドがたっぷり楽しめるってすごいな。


他の芸人さんたちのも観たけど、やっぱりそれは雑談みたいなものだったり、ちょっとカメラを向けられてしゃべっている感じだったけど、次課長の場合、あれだけで独立したコントに近い空気を漂わせていたもの。


なにやってもいいと言われて、アフリカに行きたいと壮大なことを言い、止められる河本さん。「NHKはきれいに撮ってくれるから」と言い、「きれいに撮ってくれるよ、お前のことは」という井上さん。何気ない一言で、設定というか状況を違うものに変えてしまう、魔法の言葉。


組んだ両手を返して胸元に持ってくる、井上さんの無意識の仕草のキュートさは何なんですか。


そして2人の終始楽しそうなこと!


割とこの頃はお仕事で、大人な澄ましたお顔の2人を見ることが多かったから、あんな風に友達みたいに笑ってお互いを見ながらしゃべる様子は、見ていて幸せな気分になります。


それはただ2人しゃべっている楽しさだけじゃなくて、ネタを作って演じる楽しさにつながっているからこその笑顔なわけで。


早く来ないかな。でも、ずっと遠くにあって待っていたいような気分。


いや、でもやはりワールドにどっぷりはまりたい。


宝島、ちょっと覗いてきましたが、3月は記事数8個だったんですね。そのうち3つが井上さんだったわけだ。


このところの宝島は、実験的な試みが続いていますね。


架空コメントの次は、架空バトンですか。


そのアイディアにつられて兄弟が更新というのも素敵ですが、たまにはなんてことない近況が聞きたいなあ。


この冬、兄弟で囲んだお鍋とか。ああ、でももう春ですね。


次は兄さんの番だから、兄さん次第か。今度はウソ8割の方かな。後の2割の方も、そろそろかしらと思いつつ、そろそろ寝ます。


おやすみなさい。

続きです。


【売れっ子時代】

名声の高まりとともに、赤塚氏は一滴も飲めなかったお酒を飲み始めたのでした。


古谷「道を歩くにも、電信柱の影を歩くような優しい人だったのが、お酒を飲んで、売れちゃって、ギャグの王様みたいになっちゃったときに、まず最初に奥さんを切った訳ですよね。もういらないっていうことで。土下座して絶対別れないでくれって言ったんですけど。いやもあんなうるさいのはいやだ、やっぱり別れるって言うわけ。俺も別れるよというくらいにやったんです。なんでかって言ったら、その奥さんって素晴らしいんですよ。感覚的に。赤塚不二夫の奥さんとしてぴったりって言う感じ。感性がよくてね、いいもの一杯持ってるんですよ。」


よこた「やっぱり変わったなと思いましたね。だけど実際に会うと、昔の彼なんで。あれは強がりを言ってるんだなと。お酒を飲んで、自分を奮い立たせるような感じで。自分を作ってたんじゃないですかね。」


古谷「もう漫画おろそかにしちゃって、毎晩飲み歩いてるような状況だからね。締め切りがもう来てるのにヘロへロになっているから。だから苦言をとにかく言いましてね。最後すごい台詞吐いたんですけど。バカ自信つけると怖いな!って言ったんです。先生に向って。」

高井「あれ、あんたが言ったの?」

古谷「そう、そこまで言ったんですよ。でもあれは、いいセリフだったと思うんですよ。ガーンとさせる意味で。前から知ってる訳ですからね。」

北見「やらざるを得なかったんじゃないの。周りから期待されちゃって。それは、本音じゃないんじゃないかと思うことがあるんですよ。」


芸術家・篠原勝之さん

「あの人、コースタ―2枚口に入れて、パタパタやるんだよ。なかなか入らなくてここから(口の両端)血ぃ出てるの、裂けて。わかった、面白いって言わないとやめないだよ。もう、決死の覚悟で笑わせようとするだよ。血がそうなってるんだろうね。別の生き物だから、人間のかっこした。」


漫画家・森田拳次さん

丸出だめ夫で一世を風靡した森田さんは、修行のため訪れたニューヨークで赤塚氏の訪問を受けました。

「同じギャグ漫画家だからわかるけど、落語はさ、同じネタを演者が変わって話術で拍手、まあお客の方もオチが分かっていて受けたりするんでしょ。ギャグ漫画っていうのは、毎週違うアイディアを出さなきゃなんない。一発勝負でしょ。その辺がだんだん、しんどくなってきたんじゃないですかね。」


劇作家演出家・宮沢章夫さん

「ものを作っていると誰でもがうまくなるわけですよね。どうやったら下手になれるかっていうことを考えるんですよ。…幼年期にどうやって戻れるか、幼年期の持っている面白さは絶対あるはずだから、それを赤塚さんはもしかしたら、一生かけてやろうとしていたのかもしれないですね。」


「レッツラゴン」担当・武居さん

「今まで、アイディアをメモしてそれをもとに描いていたんだけど、メモすることをやめようと。いきなり原稿用紙に描いていった。自分はこのレベルでやっていれば受けるし、安泰な部分をその時捨てたんです。この後、どこへも行きようがないってほど、レッツラゴンって突き詰めていって笑いなのかわからなくなる所まで書いちゃってますから、その先ってわからないですよ、もう。その辺まで行くと、読み手のレベルを突き抜けちゃいますから。バカだから、あんな漫画描いちゃったんですよ。だから、あんなところまで踏み込んで行っちゃった。」


写真家・荒木経惟 さん

「あの人は、マンガの中に嫌いなものは描かないし、めちゃめちゃ描いてるけど、全部愛してるんじゃない。情がこもってんじゃない。相手より自分を低くするっていう。ずーっとそれですよ。ちゃんと同じ背丈で描いてる。そこなんだよね。」


【赤塚氏と戦争】

旧満州で生まれ育つが、昭和20年、ソビエトの侵攻で父はシベリアに抑留、母と子どもたちだけの決死の逃避行。たどり着いたのは、母の実家がある、奈良の大和郡山市でした。


赤塚「1才の妹と、お袋と僕ともう一人の妹と5人で帰ってきて、赤ん坊をね、寝かせて30分後に死んじゃったけどね。とにかく、母親と4人連れて帰ってきたわけだ。早速明日から、母親がね、働かないと食べていけないわけですよ、父親はシベリアに抑留されてるから。その時に、引きあげてきて30分後にね、実家についてだよ。そこで一番下の赤ん坊が死んだってことは、僕からとれば、可哀そうっていうか何ていうか、それよりもね、親孝行したんじゃないかと思う。だって、赤ん坊がいたら、働きにも行けないじゃない。」


評論家・平岡正明さん

「今の人が思うよりはるかに多く、日本人の気持の中には戦争はあった。そして、みんな忘れようとしたんです。いつまでも覚えてていいことではないから、忘れるというのはまちがいじゃないんだけど、忘れまいという意思を持ったのが赤塚さんですよ。だから赤塚さんの世界を見ると、笑っているようでいながらも戦ってばかりいるもの。あのハタ坊。旗の代わりにおでん持ってね。「だじょー。」って立ち回ってる。そこで深刻さを出さないで、これは詩人の大原理なんですが、悲しい時に悲しいというのは詩ではないんですよ。赤い花見れば白って言う。カラスって言えばウサギって言う。楽しい時には辛いって言ったりするのがブルースから漫画から落語から小説家から、なぜ人間ってそういう風にできてるかわからないんだけど。」


【人間・赤塚不二夫】

漫画家・みなもと太郎さん

人間・赤塚不二夫を読み解く手がかりになる、母と子の愛情を描いた『母ちゃんNO.1』。ギャグのほとんどない、温かな家庭ドラマです。


みなもと「赤塚先生は死ぬ間際でも、自分のお母さんの縁側の風景を描きたいんだと、何度も周辺の人に言われていますよね。そういう人なんだろうと思います。赤塚不二夫は最初からずーっと、家庭漫画の人です。いわゆる強烈なギャグ漫画というのは、無理してなっちゃったみたいな所はあるのです。赤塚不二夫のいわゆる弾けたものというのは、あの時代のあだ花という言い方していいかわからないけれど、ギャグ漫画を目指した作家ではないということは、間違いないです。」


フジオ・プロ社長・赤塚りえ子さん(赤塚氏の長女)

「私の母が言ってたんですけど、赤塚は朝、おみそ汁の匂いがしてくる家庭に、人一倍あこがれたくせに、実際それをやろうとしたらできないって、言ってました。家族っていうものにあこがれているんだけど、どういうものなのかあんまりよくわからないのかしら。」


赤塚氏はその後、14才年下の真知子さんと再婚。真知子さんは、アルコールに依存しガンになった赤塚氏を献身的に支え続けました。


手塚るみ子さん(手塚治虫氏長女)

「あれだけやんちゃで子どもっぽく、やりたいことはやっちゃうようなバカボンのパパがいて、それをまあ時々はママもね、パパ何やってんのって怒るじゃないですか。でも最終的に、パパの好きなようにママはさせてるなっていうのは。それは、ママだけじゃなくて、頭のいいはじめちゃんもそうだし、息子の天真爛漫なバカボンも。あの家族全員が、あのパパを許しちゃってる気がするんですよね。それが「これでいいのだ!」という言葉につながるのかなと思って。「これでいいのだ」っていうのは、自分も許してるけど、周りに対しても許してくれてる言葉のような。それ救いですよね。やっぱり赤塚先生、あまえてらっしゃるんだろうなというのは思いますね。


許されたかったじゃないですか。オレこのまんまで見ててよって。やんちゃしてても、結局ああ疲れたって言って帰ってきて、ママの膝枕でくたっと子どもが眠るっていう。最後はそこ許してもらえるっていうそういう愛情なんじゃないかなと思うんですよね。」


先妻の登茂子さん、後妻の真知子さんは、大の親友でもありました。


赤塚りえ子「一般的に言うと、前の奥さんと今の奥さんが仲がいいって不思議な話なんですよね。うちとしては全然不思議じゃない。あまりにも、ボーダーラインがないじゃないですか、赤塚って。自分の生活と漫画とか、あと表とうちもないし、家族と友人もなかったり、ほんとに自由な所を行ったり来たりしていますよね。世間の変なしばりをルールみたいなところで、もともと生きてないじゃないですか。オレはね、笑われて死にたいのって、言ったことがあって。全身ギャグ漫画家だと思います。もうなんか、生き方そのものが。」


古谷「ギャグ漫画という言葉が、赤塚不二夫で始まって、赤塚不二夫で終わったという。ぼくらもう、後継者としてはギャグ漫画家というのが、できなかったんです。みんなストーリィのある漫画を描いてる。このジャンルの違い。赤塚不二夫の漫画にはストーリィはないんです。なくてちゃんとあれだけ笑わせる。あのギャグ漫画っていうのは赤塚不二夫で終わったから、赤塚不二夫はギャグ漫画っていうものを残した人なんじゃないかな。」


やっと終わった~。こんな長いレポにするつもりじゃなかったのですが、どれも捨てがたくて。NHKのこういう番組って、取材した映像を並べ直して編集して、短い時間にたくさんの情報がつめこまれているなあと、レポしてみると感心します。


身近な人たちの言葉は、温かくて、時に鋭くて、長い時間、いろいろな経験を共にしたんだなあというのが、言葉の端々から伝わってきます。


私自身、中学高校と漫画研究会にいて、漫画を描くという部分もとても興味深く、赤塚氏が追求し続けたものと、変わらない優しさに触れて、懐かしさとともに、すごい人だったんだなあと改めてため息が出ました。

NHKのETV特集『全身漫画家~真説・赤塚不二夫』。よく知っているようで、実は知らない部分が多かった赤塚氏の全体像が、彼を愛した周辺の人たちによって語られるイメージに触れることで、浮かび上がってきました。


心に残った言葉を書き留めておこうかと思います。


【電気グループ・ピエール瀧さん】

BGMに電気グループ×スチャダラバーの「NA.NO.DA」(赤塚不二夫トリビュートアルバム『42才の春だから』より)という曲が流れ、ラップに乗って天才バカボンの漫画が流れると、妙にはまってカッコイイ。


「えぐいことでも、笑いに転嫁すればOKというか。やってることが、ほぼテロなんですよね。よし殺そうとか、平気で言うように。笑いに変換するとそれ、ギャグって言うのかという。笑えるとギャグなんですよね。そういう考えは僕ら世代もそうですし、電気グループもそういう観念が根底にあると思います。」


【前衛家・吉田アミさん】

「うなぎとイヌが合体したら、ヘンでしょ?とかヘンだからダメだっていう風にいうのが普通の感覚だと思うんですけど、ヘンだから面白いじゃないっていう言い方をするんですよね。ハチャメチャな状況になってるのに、「これでいいのだ。」って言いきっちゃうって、なかなかできないんですけど、そうじゃないものも面白いよって言うのが「これでいいのだ」という言葉に明言されているような気がして。根っこのところには、キミ、ここに生まれてきてよかったんだよみたいな風に言われているような。キミの生き方はちょっと変わってるかもしれないけど、そういう生き方もありじゃないのと言われているような。優しさみたいなものを、私は感じ取って。」


【アーティスト・宇川直宏さん】

「バカこそがモテるって赤塚先生が言ってるのが、今となって心に響く。なんか人間的な魅力を放っているのって、やっぱりバカなんじゃないかって思うんです。アーティストにとって重要なのって、生き様もそうですけど死に様も重要っていうか。バカボンのパパに完全に同化してマンガのコマを越えて同化して、それで亡くなられているって、それ以上のことってないんじゃないかなと。」


【漫画家・しりあがり寿さん】

「なんであんなに面白いんだろう。常識を壊し、漫画も壊し、最後には自分まで壊しちゃったみたいな。笑えるって悪い言葉で言うと、バカにすることですよね。すごい偉そうなもの、価値のあると思われていたものは、こんなのいいじゃんと笑い飛ばすことですよね。笑い飛ばすイコール壊す。それをどんどんどんどん続けてったら、何もかも壊し続けることが笑いの神髄だ、みたいな感じだったのかもしれないなあ。」


【漫画家・よこたとくおさん(上京した頃の投稿仲間)】

「投稿家たちの集会で、出会ったんです。ハンサムで色が白くて、最近の彼しか知らない人はびっくりしますよ。性格はシャイですごい優しい青年だったですね。思いやりがあって。」

「(赤塚氏の処女作『嵐をこえて』の最後の方のページを開きながら)ここだけの話ですけど、これぼくが書いた詩なんです。なんか詩、書いてくれないって。その辺が彼のお人よしなんです。ぼくを喜ばせようと思って。うれしかったですね。(お互いに工場で働いていて)そういうのがコンプレックスだったですね。自分で勉強はするんですけど、こういう商売に入ってからも、それは付きまとってますよね、ずっと。ですから、僕も彼も、ああいうシャイな性格になったと思うんです。」


【手塚治虫に会った時の赤塚氏の言葉】

「手塚先生に言われたことがあるんです。漫画家になりたかったら、一流の映画を見なさい。一流の音楽を聴け。一流の芝居を観ろ。一流の本を読め。みんな一流だ。漫画から漫画勉強するんじゃないよ。そういうものを身につけて、自分の世界を創っていけって。」


【漫画家・藤子不二雄Ⓐさん】

「(トキワ荘に住み始めた頃)石森氏は強烈なイメージがあるんですよ。高校の時から漫画少年という雑誌に作品を出していて、『二級天使』という。これを高校生が書いたのかとエーッとなって。赤塚氏も書いていたんですけど、印象に残らない絵で、本人と絵が結びつかないような感じで。(当時は少女漫画を描いていた)赤塚氏は非常な美少年で、おとなしくて口きかなかった。(共同の)炊事場で、赤塚氏が(石森氏の)ご飯を用意してるんですよ。仕事もないから、石森氏のアシスタントをやってたんですね。」


【漫画家・水野英子さんと当時の編集者丸山昭さんの会話】

水野さんがトキワ荘に来たのは、赤塚氏、石森氏と3人で、U・マイアというペンネームで少女クラブに合作を描くためだったそうです。


水野「構成・構図・コマ割なんかは石森さんが先にやって。主人公の男女は私が描くことになってました。赤塚さんはその他大勢とか全体のまとめ、背景とか。今言ったらアシスタントがやるようなことをね、総まとめをやってくれたんですよ。(絵を指しながら)赤塚さんの線がちょっと細かったから、石森さんがなぞって太くしている。ここの家屋の繊細さ、見てください。繊細できれいな絵を描いてましたね。ちゃんとした絵も描ける人です。その上でああいうデフォルメが出来たんじゃないかと思いますよ。」


2才下の石森さんが構成を決め、4才下の水野さんが主人公を描く。一番年長の赤塚氏はどういう思いで共同作業にあたっていたのか。

丸山「実力の世界だから、年が上下というのはほとんど意味がないというか。」

水野「自然でした。3人で石森さんの部屋で仕事をしてましたけど。石森さんがヘビースモーカーで、灰皿がすぐ山盛りになるとこまめに取り替えに行ったり、お茶を入れてくれるのは、必ず赤塚さんだったんです。座布団が一枚しかなかったのに、いつも譲ってくれて。ライトもひとつしかなかったんですけど、私が描きやすい方に置いてくれて。何にしても、すごくよく、こまごま気のつく人だったんです。それをまた、すごく楽しげにやるわけ。負担とかじゃなく。」

丸山「周りの人たちがどんどん行くのに、自分はまだ芽が出ないということでは、内心はかなり、焦ったところはあったと思うんですよね。何回か漫画家やめようと思ったという話がありますけど、そういう思いはあったと思いますよ。」


丸山「石森さんがあるときね。丸さん、赤塚はギャグ描かしたらいけると思うよって。赤塚さんは毎日ひとつギャグを創らないと寝ないとかって、言ってたんですよね。石森さんはそれ見て、赤塚さんの本質はギャグにあるとわかってた。」


穴のあいた雑誌の代筆に、石森氏が推薦してくれ、「ナマちゃん」という作品を書いたところ、読みきりのはずが初めての連載になります。

続く「おそまつくん」は、アメリカ映画をヒントを得たもので、六つ子を描くのに、コピーを使って同じ顔をはりつけるというアイディアを使っていたそうです。アシスタントを使う習慣のなかった頃、フジオ・プロを作って合議制でみんなで作品を作るという、当時画期的な方法を考え出しました。


【フジオ・プロの当時のメンバー、高井研一郎さん、古谷三敏さん、北見けんいちさん】

<赤塚氏が通った居酒屋にて>

高井「流れ作業になってるんで、フジオ・プロの仕事はね。赤塚氏がアタリ(ラフな絵)を見せて、今度は鉛筆で(私が)下絵を入れて、古谷さんがペン入れしてくれて。この人がきちっとしてたからね、線が。」

北見「アイディアの8割は古谷さん。」

高井「天才バカボンがあんだけ人気出たのは、古谷さんがいなかったらできなかったね。」


<フジオ・プロのしくみ>

アイディア会議という独自のスタイルを取り入れ、赤塚氏、ブレーン、雑誌の編集者が集まっていました。

少年サンデー元担当編集者・武居俊樹さん

「世間話から入って、ぐだぐだ、くだらない話をしながら、その一言、何か一つの現象に、赤塚不二雄がポーンと飛び付くんですよ。それでいこう!という所から、それが決まるとパーンと後は転がりますから。」

「それが、1本に13ページでわーっとまとまっていく過程は、うわーっこれがほんとのプロなんだっていう感じがして。3時間くらいで、1本お話が細部まで、台詞とアクションまで含めて、できちゃうんです。」


<居酒屋>

古谷「ただし、ネームは先生なんですよ。」

北見「みんなで(アイディア)出してきて、まとめるのは先生。」

古谷「ダーッと1時間くらいで12ページ入れちゃうんです。いまだに僕らも、ト書きした奴を横に置きながらネームとか入れるんですけど、1日とか2日はかかるよね。それね、ほんと2時間くらいでね、バーッと入れちゃって、それですぐだーっアタリをやって高井さんに渡して、古谷さんがペン入れして。1日だよね。」

北見「キャラクターは8割が高井さんですよ。」

高井「アタリが来るでしょ。なんか訳のわからないキャラクターが出てくんだけど。勝手に書いてそれでいいってことになっちゃう。」

北見「それが人気、出ちゃうんだ。」


<キャラクター作りでの赤塚さんの役割>

武居「たとえばイヤミだったら、フランス帰りで、ほんとはフランスなんか行ったことないんだよ。貧乏で多分女房もいない。そして貧相な性格してるっていう奴、ちょっと書いてみてと言うと、高井さんが描く。そうすると、デリケートに直していくんですよ、口で。ちょっと研ちゃん、こういう所、こんな風なんじゃないかなと。高井さんがまた、天才だから直せる。これだ!って言ってイヤミが決まって行く。チビ太もそう。ハタ坊もデカバンもダヨーンも、そういう出来方をしていった。」


<天才バカボン>

バカなボンボンが活躍する漫画、「天才バカボン」。回を重ねるうちに目立ってきた、もっとバカなパパの存在。面白くなるならと、主人公はいつしかバカボンのパパに。


藤子「仕事と遊びの境目がない所が、赤塚氏のところの非常な特徴で、仕事だか遊びだかわからないから、逆に作品にエネルギーが出るんです。漫画ってものはもちろん、頭で考えるんですけど、頭で考えたものは面白くないんですよ。やっぱりそこに、気っていうかハートが出ないと。そういうのが赤塚氏の漫画にはいっぱいある。この作者が面白がってやってるのが伝わる。」


武居「編集長に、(マガジンからサンデーに)バカボン引っ張って来ちゃいましょうよって言ったら、そんなことできるわけない、でもできたらいいぞということで、それに向けて動き出したんですけど。申し込んだんですよね。ダメでもともとで。言ってみたら先生はん?と考えて、ちょっと逡巡があったけど、やるか!と。」


マガジン元担当編集者・五十嵐さん

「ご自身から直接言われました。今度天才バカボンを、サンデーに持ってくから。辛いと思うけど、我慢してくれと。えって言って。ことが大きいもんですからね。何故とか、どういうつもりですかという言葉は出てこないんですよ。まあそれはね。トンカチで頭殴られたようなね。」


武居「バカボンが、マガジンからサンデーに移ること自体が、すごく面白いことなんじゃないかなと考えたと思うんです。現象として面白いということを、当時考えたんじゃないかという。」


【タモリ】

「死んで受けるなら、死んでもいいっていう人ですからね。友達の別荘に正月みんなで寄るんですけどね。冬の軽井沢は雪が積もってまして。きれいだね雪景色と言ったら、あの人は風景に興味がない人なんですよ。大文字焼きを見ても、こんなの面白くないよ、あれがだんだん山火事になるんだったら、面白いけどねというくらいの人ですからね。


軽井沢の雪景色もやっぱり面白くない。なんかしないと面白くない、じゃどうするんだと言って、裸になって表出て行って、庭で雪の上に寝そべって本を読む。オレもなんかやろうと思って、雪の上でやるんですけど、ものすごく寒くて30秒といられない。すぐ帰ってきてお風呂に入って、またアイディア出て次行って、もうやり尽くしたなという時に、あの人とんでもないことやるんですけども。ロウソクに火をつけて、お尻の穴に突っ込むんですよ。それで庭の物陰から、後ろ向きで歩いてくるんですよ。これね。この世のものじゃないですよ。オレはそれ見た時に、この人にはちょっとかなわないと思いましたね。」


あまりに長くなってしまったので、残りは後編で。