続きです。
【売れっ子時代】
名声の高まりとともに、赤塚氏は一滴も飲めなかったお酒を飲み始めたのでした。
古谷「道を歩くにも、電信柱の影を歩くような優しい人だったのが、お酒を飲んで、売れちゃって、ギャグの王様みたいになっちゃったときに、まず最初に奥さんを切った訳ですよね。もういらないっていうことで。土下座して絶対別れないでくれって言ったんですけど。いやもあんなうるさいのはいやだ、やっぱり別れるって言うわけ。俺も別れるよというくらいにやったんです。なんでかって言ったら、その奥さんって素晴らしいんですよ。感覚的に。赤塚不二夫の奥さんとしてぴったりって言う感じ。感性がよくてね、いいもの一杯持ってるんですよ。」
よこた「やっぱり変わったなと思いましたね。だけど実際に会うと、昔の彼なんで。あれは強がりを言ってるんだなと。お酒を飲んで、自分を奮い立たせるような感じで。自分を作ってたんじゃないですかね。」
古谷「もう漫画おろそかにしちゃって、毎晩飲み歩いてるような状況だからね。締め切りがもう来てるのにヘロへロになっているから。だから苦言をとにかく言いましてね。最後すごい台詞吐いたんですけど。バカ自信つけると怖いな!って言ったんです。先生に向って。」
高井「あれ、あんたが言ったの?」
古谷「そう、そこまで言ったんですよ。でもあれは、いいセリフだったと思うんですよ。ガーンとさせる意味で。前から知ってる訳ですからね。」
北見「やらざるを得なかったんじゃないの。周りから期待されちゃって。それは、本音じゃないんじゃないかと思うことがあるんですよ。」
芸術家・篠原勝之さん
「あの人、コースタ―2枚口に入れて、パタパタやるんだよ。なかなか入らなくてここから(口の両端)血ぃ出てるの、裂けて。わかった、面白いって言わないとやめないだよ。もう、決死の覚悟で笑わせようとするだよ。血がそうなってるんだろうね。別の生き物だから、人間のかっこした。」
漫画家・森田拳次さん
丸出だめ夫で一世を風靡した森田さんは、修行のため訪れたニューヨークで赤塚氏の訪問を受けました。
「同じギャグ漫画家だからわかるけど、落語はさ、同じネタを演者が変わって話術で拍手、まあお客の方もオチが分かっていて受けたりするんでしょ。ギャグ漫画っていうのは、毎週違うアイディアを出さなきゃなんない。一発勝負でしょ。その辺がだんだん、しんどくなってきたんじゃないですかね。」
劇作家演出家・宮沢章夫さん
「ものを作っていると誰でもがうまくなるわけですよね。どうやったら下手になれるかっていうことを考えるんですよ。…幼年期にどうやって戻れるか、幼年期の持っている面白さは絶対あるはずだから、それを赤塚さんはもしかしたら、一生かけてやろうとしていたのかもしれないですね。」
「レッツラゴン」担当・武居さん
「今まで、アイディアをメモしてそれをもとに描いていたんだけど、メモすることをやめようと。いきなり原稿用紙に描いていった。自分はこのレベルでやっていれば受けるし、安泰な部分をその時捨てたんです。この後、どこへも行きようがないってほど、レッツラゴンって突き詰めていって笑いなのかわからなくなる所まで書いちゃってますから、その先ってわからないですよ、もう。その辺まで行くと、読み手のレベルを突き抜けちゃいますから。バカだから、あんな漫画描いちゃったんですよ。だから、あんなところまで踏み込んで行っちゃった。」
写真家・荒木経惟 さん
「あの人は、マンガの中に嫌いなものは描かないし、めちゃめちゃ描いてるけど、全部愛してるんじゃない。情がこもってんじゃない。相手より自分を低くするっていう。ずーっとそれですよ。ちゃんと同じ背丈で描いてる。そこなんだよね。」
【赤塚氏と戦争】
旧満州で生まれ育つが、昭和20年、ソビエトの侵攻で父はシベリアに抑留、母と子どもたちだけの決死の逃避行。たどり着いたのは、母の実家がある、奈良の大和郡山市でした。
赤塚「1才の妹と、お袋と僕ともう一人の妹と5人で帰ってきて、赤ん坊をね、寝かせて30分後に死んじゃったけどね。とにかく、母親と4人連れて帰ってきたわけだ。早速明日から、母親がね、働かないと食べていけないわけですよ、父親はシベリアに抑留されてるから。その時に、引きあげてきて30分後にね、実家についてだよ。そこで一番下の赤ん坊が死んだってことは、僕からとれば、可哀そうっていうか何ていうか、それよりもね、親孝行したんじゃないかと思う。だって、赤ん坊がいたら、働きにも行けないじゃない。」
評論家・平岡正明さん
「今の人が思うよりはるかに多く、日本人の気持の中には戦争はあった。そして、みんな忘れようとしたんです。いつまでも覚えてていいことではないから、忘れるというのはまちがいじゃないんだけど、忘れまいという意思を持ったのが赤塚さんですよ。だから赤塚さんの世界を見ると、笑っているようでいながらも戦ってばかりいるもの。あのハタ坊。旗の代わりにおでん持ってね。「だじょー。」って立ち回ってる。そこで深刻さを出さないで、これは詩人の大原理なんですが、悲しい時に悲しいというのは詩ではないんですよ。赤い花見れば白って言う。カラスって言えばウサギって言う。楽しい時には辛いって言ったりするのがブルースから漫画から落語から小説家から、なぜ人間ってそういう風にできてるかわからないんだけど。」
【人間・赤塚不二夫】
漫画家・みなもと太郎さん
人間・赤塚不二夫を読み解く手がかりになる、母と子の愛情を描いた『母ちゃんNO.1』。ギャグのほとんどない、温かな家庭ドラマです。
みなもと「赤塚先生は死ぬ間際でも、自分のお母さんの縁側の風景を描きたいんだと、何度も周辺の人に言われていますよね。そういう人なんだろうと思います。赤塚不二夫は最初からずーっと、家庭漫画の人です。いわゆる強烈なギャグ漫画というのは、無理してなっちゃったみたいな所はあるのです。赤塚不二夫のいわゆる弾けたものというのは、あの時代のあだ花という言い方していいかわからないけれど、ギャグ漫画を目指した作家ではないということは、間違いないです。」
フジオ・プロ社長・赤塚りえ子さん(赤塚氏の長女)
「私の母が言ってたんですけど、赤塚は朝、おみそ汁の匂いがしてくる家庭に、人一倍あこがれたくせに、実際それをやろうとしたらできないって、言ってました。家族っていうものにあこがれているんだけど、どういうものなのかあんまりよくわからないのかしら。」
赤塚氏はその後、14才年下の真知子さんと再婚。真知子さんは、アルコールに依存しガンになった赤塚氏を献身的に支え続けました。
手塚るみ子さん(手塚治虫氏長女)
「あれだけやんちゃで子どもっぽく、やりたいことはやっちゃうようなバカボンのパパがいて、それをまあ時々はママもね、パパ何やってんのって怒るじゃないですか。でも最終的に、パパの好きなようにママはさせてるなっていうのは。それは、ママだけじゃなくて、頭のいいはじめちゃんもそうだし、息子の天真爛漫なバカボンも。あの家族全員が、あのパパを許しちゃってる気がするんですよね。それが「これでいいのだ!」という言葉につながるのかなと思って。「これでいいのだ」っていうのは、自分も許してるけど、周りに対しても許してくれてる言葉のような。それ救いですよね。やっぱり赤塚先生、あまえてらっしゃるんだろうなというのは思いますね。
許されたかったじゃないですか。オレこのまんまで見ててよって。やんちゃしてても、結局ああ疲れたって言って帰ってきて、ママの膝枕でくたっと子どもが眠るっていう。最後はそこ許してもらえるっていうそういう愛情なんじゃないかなと思うんですよね。」
先妻の登茂子さん、後妻の真知子さんは、大の親友でもありました。
赤塚りえ子「一般的に言うと、前の奥さんと今の奥さんが仲がいいって不思議な話なんですよね。うちとしては全然不思議じゃない。あまりにも、ボーダーラインがないじゃないですか、赤塚って。自分の生活と漫画とか、あと表とうちもないし、家族と友人もなかったり、ほんとに自由な所を行ったり来たりしていますよね。世間の変なしばりをルールみたいなところで、もともと生きてないじゃないですか。オレはね、笑われて死にたいのって、言ったことがあって。全身ギャグ漫画家だと思います。もうなんか、生き方そのものが。」
古谷「ギャグ漫画という言葉が、赤塚不二夫で始まって、赤塚不二夫で終わったという。ぼくらもう、後継者としてはギャグ漫画家というのが、できなかったんです。みんなストーリィのある漫画を描いてる。このジャンルの違い。赤塚不二夫の漫画にはストーリィはないんです。なくてちゃんとあれだけ笑わせる。あのギャグ漫画っていうのは赤塚不二夫で終わったから、赤塚不二夫はギャグ漫画っていうものを残した人なんじゃないかな。」
やっと終わった~。こんな長いレポにするつもりじゃなかったのですが、どれも捨てがたくて。NHKのこういう番組って、取材した映像を並べ直して編集して、短い時間にたくさんの情報がつめこまれているなあと、レポしてみると感心します。
身近な人たちの言葉は、温かくて、時に鋭くて、長い時間、いろいろな経験を共にしたんだなあというのが、言葉の端々から伝わってきます。
私自身、中学高校と漫画研究会にいて、漫画を描くという部分もとても興味深く、赤塚氏が追求し続けたものと、変わらない優しさに触れて、懐かしさとともに、すごい人だったんだなあと改めてため息が出ました。