甲羅に似せて -176ページ目

甲羅に似せて

蟹は甲羅に似せて穴を掘るそうです。私も日々の想いを
蟹が穴を掘るように綴っていけたら・・・。

更新履歴にネゴさんの記事がずらりと並ぶのを見て、軽くイラッとしながらも、それだけの長きに渡り、兄さん達の音沙汰がないんだなあと、淋しく思っていたところ、川島さんの更新に、空気のよどんでいた室内にサッと新しい風が吹いたような爽やかさを感じてしまいました。・・・ごめんね、ネゴさん。


京男、川島さんが実家に帰っていたのは、お兄さんの所に生まれた赤ちゃんを観に行ったんですね。川島さんのお兄さん、どんな人なんでしょう。弓道部だからって、兄弟げんかで弓を放つなんてこわっ!そんなお兄ちゃんも人の親と言われても、どんな人か伝わってこないんですけど。


赤ちゃんが抱きたくておばさんの頭をポカッとたたくおばあちゃんや、ネゴさんとすぐ打ち解けるお父さんや、川島さんの実家は楽しそうですね。


そして、生まれたての赤ちゃんの小さいこと!赤ちゃんって、見ているだけで、未来に対する希望と、生命の不思議を感じて、元気をもらえる気がしますよね。川島さんと赤ちゃんのツーショット、なんだかほほえましいです。


そして、川島さんが更新したんだから、そろそろ井上さんもどうかな~?と、首を長くして待っております。


今日は暑い日でしたね。昨日パーティも無事終わって、うちの中も見違えるように片付いたし、その後夜なべで仕事を片付けて、やっときょう提出したし、開放感に浸る夕方です・・・♪


・・・そういえば、「CIRCUS」、帰りに立ち読みしてきました。


井上さんのお悩み相談、すごく面白いですね。

この人はほんとに、どんな人なんだろう。


いつまでも保護してあげたくなるようなお子様のような様子のどこに、あの本質をさらりと突くような洞察力が隠されているんでしょうか。・・・洞察力?、というかうまく言葉が見つからないんですが、思いもかけないところから球が飛んでくるような、それでいてなるほどと思ってしまうような不思議な説得力を、彼はどこで身につけたのでしょうね。


たった見開き2ページの記事のために買おうかどうしようか、激しく迷った末に帰りました。エンタが見つからなかったから、また明日本屋さんに行きますけど♪


昨日、夫と息子が潮干狩りに行って、バケツに2杯のアサリを取ってきました。


子どもが小さい頃、初めて潮干狩りに行ったのは、育児サークルの仲間とでした。

なんの予備知識もなく貝を採っていると、地元のおばさんらしき人が、私達の採っている貝を見て、「これはバカ貝といってね、食べてもおいしくないのよ。アサリはこれ。黒っぽい模様が入っているでしょ。」と教えてくれました。バカ貝は、みんなが取り残していくために、あちこちに沢山落ちていました。今では、それさえ採って行く人がいて、ほとんど見なくなりましたが。


そして、浜辺ではおじさんたちが、小さな穴の開いたところに塩を振りかけています。

不思議に思って、何をしているのか聞くと、こうすると穴の中からマテ貝という貝が出てくるのを捕まえるそうです。細長い棒のようなマテ貝は、砂抜きもいらず、バター焼きにして食べると酒の肴に最高で、アサリよりこちらの方にはまるのだそうです。


帰り道には、私達が採った貝を、見せてごらんと、通りすがりのおじさんが話しかけてきました。この辺で採れるアサリは味がいいこと、海水を少し入れて、貝が息が出来るようにして持ち帰ると、帰る間にも砂抜きができることなど、そのおじさんは親切に教えてくれて、教える事がとても楽しそうな様子でした。


そんな風に、潮干狩りの楽しさとともに、いろいろな人との交流が楽しく、豆知識も得る事が出来て、楽しい一日になりました。


貝好きの息子は、今もこの季節になるとアサリ採りに燃えていますが、娘はいつしか貝が苦手になって、たくさんの貝を見て迷惑そうな顔をしています。


今年の貝は、量は少なかったけれど、大きいものばかりでした。そこは、貝を撒いるわけではなくて、自然のものなんですが、アサリって1年でそんなに大きくなるものかなと思いながら、炊き込みご飯や酒蒸しにして、おいしく頂きました。


きょうは、夫の両親と私の父が来て、自宅でパーティーです。

「ちりとてちん」の総集編は録画にして、後のお楽しみです。


宝島もこの頃は静かですね。テレビもないようなので、井上さんはどんなGWを過ごしているのかなあと想像しながら過ごす事にします。もちろん、モンハンでしょうけど。

ブログネタ:死刑について考えてみる 参加中
少し前に、「12人の怒れる男たち」という舞台を観たんですが、それを観てから、これから始まる裁判員制度について、折に触れて考えていました。でも、なかなか考えがまとまらなくて・・・。

この話は、スラム街で起きた殺人事件で、少年が父親をナイフで刺し殺したというものでした。目撃者も証拠もあり、ほとんど少年の有罪は確実と思われました。一般から選ばれた12人の陪審員たちが、一室に集められ、外から鍵をかけられて、この事件について話し合うのですが、それぞれ忙しい陪審員達が結論を急ごうとする中で、1人の男性が、「この少年のために、1時間だけでいいから、真剣に話し合ってみませんか。」と提案します。

集まった陪審員達は全員男性でしたが、年齢は若い人からお年寄りまでさまざまで、環境も違っていました。スラム街ということで、最初から少年をろくな人間じゃないと決め付ける人や、自分の意見を押し付ける人、逆に意見を求められても、これといった自分の考えがなく、他の人の意見にひきずられてころころ考えを変えてしまう人など、いろいろな人がいましたが、じっくりとひとつひとつの証拠や目撃証言について検証していくと、どれも曖昧で証拠として不十分である事が明らかになり、最終的に少年は無罪になるのです。

その会話のやり取りを聴きながら、お互い育った環境や考え方もバラバラな、見ず知らずの人たちが、その時だけ集まって他人の人生に決断を下す事の難しさを、肌で感じました。

これは、外国のお話ですが、裁判員制度が始まって、もし知らない同士が集まったら、事件について話し合う前に、まずお互いを女のくせにとか、若くて経験もないのにとか、押しの強い、社会的に地位のある人が、そうじゃない人に対して、かけるプレッシャーなんかがあるんじゃないかしらと思ったりします。

もともと、議論を戦わす土台が日本の文化にないのも不安です。学校教育の中で、ディベートみたいな、自分の意見を人にわかるように話す訓練も必要かなと思います。

これから始まる裁判員制度では、有罪か無罪かということの他に、量刑も決めるとのことなので、事件によっては自分のかかわった事件で、死刑を宣告する事もあり得ます。
自分が選んだ仕事でもなく、人を裁くことすらかなり辛いのに、死刑となると、いくら重い罪の人でも、決断するのに相当勇気がいるような気がします。

先日判決が出た、光市母子殺害事件については、被告の考えられないひどい言い訳と、被害者のご主人の裁判に真剣に向き合う様子を見ていて、被害者の方を応援する気持ちが強いし、残酷な事件には厳罰が必要という気になりますが、こういう事件でも公平にと考えた時に、私達はどこまで、被告と被害者を公平に見ることができるんだろうかと自信が無くなります。

時の法務大臣でさえ、死刑執行にサインしないことがあるくらいです。

未成年の事件でも、厳罰化の方向に向かっていますが、もし自分が決める立場になったら、あなたにそれができますかという問いかけも、この制度には含まれているのかもしれません。

それにしても、どうしてこの制度が日本に必要なのかという議論があまりないまま、なにかするするとあっという間に実現にこぎつけてしまったことは、とても不思議な事のように思われます。
どうしても必要な理由がなければ、いったい誰がこんな大変な仕事を引き受けるんでしょう。この仕事の大変さを考えるにつけ、せめてこういう理由でどうしても必要だという、納得できる理由を示してくれたらなあと思います。