ちりとてちん 3/28 | 甲羅に似せて

甲羅に似せて

蟹は甲羅に似せて穴を掘るそうです。私も日々の想いを
蟹が穴を掘るように綴っていけたら・・・。

体調が落ち着いてきた喜代美ちゃんは、おじいちゃんの命日の日に、草々さんと夫婦落語会をすることになりました。演目は「愛宕山」。楽屋で身支度している喜代美ちゃんが振り返ると、そこにはおじいちゃんがにこにこ笑って座っています。


早くに亡くなってしまったおじいちゃんですが、折に触れて、ほんとによく喜代美ちゃんの前に現れますね。草若師匠が亡くなった時、道案内したり、一歩間違うとオカルトっぽくなってしまうこんなシーンも、落語や若狭塗り箸という、伝統を受け継いでいくものにとって、先人の知恵と優しさを常に身近に感じていることの象徴のようで、不思議と自然に受け入れられるものでした。


喜代美ちゃんの口上が始まります。

結婚して10年、やっと子どもが授かりましたが、もともとくよくよ悩む自分の性分が子どもに似ないかと、もうくよくよしている、そんな自分の子ども時代に自分を笑わせてくれたのが落語だったこと。


「愛宕山」の語り口とともに、喜代美ちゃんの子ども時代の回想シーンが流れます。

喜代美ちゃん役の子の、のんびりとした話し振り、ほんとにかわいらしいなあ。

かわらけ投げの場面、おじいちゃんが死んだ後、喜代美ちゃんがおじいちゃんへの願いを込めてかわらけを投げているシーンに涙しましたが、お母ちゃんが喜代美ちゃんへの思いを叫びながらかわらけを投げるシーンにも号泣しました。・・・なんだろう。人の幸せを願う気持ちって、なんだか自分のことのようにうれしくて、心洗われるような気がします。


語り終えてゆっくりとお辞儀をする喜代美ちゃん。余韻に浸っているのかと思ったら、客席を見回しながらニコニコ笑ってしばしの沈黙。さすがに客席がざわめき始めます。


「本日は、私の最後の高座にお付き合い頂きまして、ありがとうございました。」


予告編はこれだったんですか。その後、詳しい事情を説明する気配もなく、彼女は高座を降りてしまいます。

客席は大騒ぎです。

楽屋では、何故あの場で急にあんな事を言ったのかと兄弟子達が喜代美ちゃんに詰め寄っています。「特別な思い入れがある愛宕山だけど、出来がよかっただけに、もったいない。」と草原さん。


そこに糸子さんがばたばたと入ってきます。続いて和田家の人たちも。

「あんた何を考えてんのや。」と言う糸子さんに、「お母ちゃん、ごめんな。小浜を出るときひどいこと言って。」と、喜代美ちゃんは突然謝ります。


「あの頃、やりたいことを後回しにして、人の世話ばかり焼いているおかあちゃんの生き方を、なんてつまらない脇役人生だと思ってた。だけど、太陽みたいに、毎日毎日みんなを照らしてくれることが、どれだけ豊かな人生かわかったんや。お母ちゃん、お腹にいるときから、大事に大事にしてくれて、ありがとう。」


「何を言っとんのや、この子は!」と思いがけない言葉に、声を詰まらせながら言う糸子さんに、「私はお母ちゃんみたいになりたいんや。」と返す喜代美ちゃん。


毎日お弁当を作ることの大変さを熊五郎さんから聞き、お箸はなくてはならない名脇役という糸子さんの話や、照明係をしながら、「人にライトをあてるのも素敵な仕事や」という順ちゃんの言葉を思い出し、少しずつ心の中に入ってきたいろんなことが、自分の中でひとつになっての、今回のこの決心だったんですね。


がんばってきた落語にこんな形でピリオドをつけるのは惜しいなあという気持ちと、思い切りがいいなあと感心する気持ちの両方が沸き起こって、口をあんぐりあけた状態で固まってしまいました。


一番心配をかけた喜代美ちゃんが、あんなに素敵な感謝の言葉をお母さんに伝える事ができて、糸子さん、よかったなあという気持ちにもなりました。親のありがたさがわかるのは、親離れして随分経ってからだし、心では思っていても、照れくさくてもなかなか言い出せないものです。

でも、対価を求めずに尽くす人に、本当に喜ばれる贈り物は、感謝の気持ちと言葉なんですよね。


昔の自分を捨てて生まれ変わりたいと願った喜代美ちゃんの行きついた先がおかあちゃんだったとは、幸せの青い鳥の寓話のようで、不思議なものだという気がします。


てっきり、月曜31日が最終回と思っていたのですが、明日は最終回とテレビで言っていたので、明日なのか~とびっくり。そうだったのか・・・。楽しみなような、残念なような・・・。