お父ちゃんと夫婦喧嘩するほど、正平君のことで心を痛めていた糸子さん。やっぱり後は継げないと言っておとうちゃんをがっかりさせ、うちを出て行ってしまうなんて、残された身はせつないですね。
そこに小梅さんが麦茶を持って現れ、「たまには人の入れたお茶でも飲みなれ。」と勧めます。
「子育ては誰だって初めてで、やり直したいと思ったってそれはできないこと。人のためにお茶を入れても、人の入れたお茶を飲んだ事がない、家族のために尽くしてきた糸子さんの姿を見ている正平なら、まちがいない。すんなり決まった道を進むより、大変な思いをした方が本人のためにはいいと思う。」
小梅さんが糸子さんにかけた言葉は、いちいちこちらの身に沁みます。子どもを育てながら、思い通りにならずに、育て方をまちがえたかと自分を責めたり、もう一度やり直せるならなどと、私も何度思ったかしれません。子どもには、苦労せずに楽しく笑顔で生きていってほしいというのが親の願いですが、実際は、親を困らせるために子どもは存在しているのではと思うこともしばしばです。
小さい時はどんなことにも目を輝かせ、感謝の言葉でうれしがらせてくれたのに、思春期になると、何故そこまで厳しいことを言う?と落ち込んでいると、「お母さんのようにはなりたくない。」・・・とどめに、死刑宣告のような一言が・・・。昔、自分の母が「昔はかわいかったのに。」と、私に向かってあまりに何回も言うので、今はかわいくないのかとムッとした覚えがありますが、その母の気持ちが、今になってみるとよくわかります。
子どもは育っていくうちに、自分の一部から、もう1人の他人へ変わっていくんだなあと思います。だから親の思い通りにはならないのだと。そうやって子どもをあきらめる子離れの時期に、糸子さんは来ているんでしょう。こんな時、言葉をかけてくれるお姑さんがいて、よかったですね。いつもみんなで心配したり励ましたり、いい家族でうらやましいです。
家族を思いやるのは、自分に心の余裕がないとできないことですが、今の時代はみんな忙しすぎて、なかなかそれが難しくなっているように思います。
喜代美ちゃんも、あのテレビで忙しかった時期、本当に姉を必要として訪ねてきた、正平君の相談に乗ってやれなかったことを草々さんの話から知って、「私がやりたいことをやって正平が夢をあきらめるなんて、私はずるいお姉ちゃんや。」と落ち込みます。
「自分を責めるのはやめ。わがままでも、自分のやりたいことをやっているお姉ちゃんが正平は大好きやねんぞ。」
草々さんがかけてくれたこの言葉、じーんときながら、ちょっとなんていうんでしょう、恥ずかしくてきゃっと叫びそうになる感じがあります。草々さんの愛の言葉は、突然口をついて出てきて、あまりにまっすぐなので、いつもドキドキします。愛の言葉を言っているという自覚がないせいもありますが、「好きだ。愛してる。」と言う表現以外の愛の言葉もあるんだなあと感心します。
それにしても、木曽山君が心配です。正平君に対しては、完全におちょくっている風でした。喜代美ちゃんは全く動じていなくて、おかみさんが板についてると正平君にほめられていましたが。
緊張して調子が出ないというキャラには見えないのですが、みんなを困らせて喜ぶような陰険なキャラにも見えません。彼の両親にも考えてみれば会った事がないですし、まだ得たいの知れないところがありますね。
何故嘘をつくのかと考えると、四草さんのように要領よくたちまわって得をしようとする場合もありますが、自分に自信がなくて、実際よりよく見せようとするときとか、失敗を隠すため、人を陥れるためなど、その人の性格によって違いますが、木曽山君は、実際よりよく見せようとするタイプかなあと私は思うのですが、どうでしょうか。
そして、正平君は喜代美ちゃんのもとで、何か新しい道が見つかるのでしょうか。