ちりとてちん 2/12 | 甲羅に似せて

甲羅に似せて

蟹は甲羅に似せて穴を掘るそうです。私も日々の想いを
蟹が穴を掘るように綴っていけたら・・・。

 思えば、草々さんと喜代美ちゃんが結婚してからは、同じ敷地に暮らしているとはいえ、食事なんかも別々で、師匠はひょっとしたら淋しかったのかもしれないなあと思ったりします。

 今はみんなが入れ替わり立ち代わりお見舞いに来ておしゃべりしてくれるから、時にはうるさいかもしれないけど、淋しくなくてよかったんじゃないでしょうか。


 今日は小次郎さんが来て、珍しく自分のことを語っていました。

 私は、小次郎さんは何かに縛られるのを嫌って、いつも自由に生きていて、コンプレックスのようなものには無縁だと思っていたので、今回の話はとても意外でした。小次郎という名前には、正の字がついてないんだなあと思ったことはありましたが、長男だけが継ぐ字なのかと思っていました。


 30年も一緒にいたのに、10年も離れていた兄の正典さんの方が先代に近かったという話には、そんな複雑な思いを胸に秘めていたのかと気の毒になりました。

 父親との10年は、小次郎さんにとってどんな10年間だったんでしょうか。


 師匠に、父親からもらえなかった言葉を代弁してもらって、小次郎さんは少しは気持ちが軽くなったようですね。それにしても、あんなに昔から家族が茶の間に集まってはワイワイとにぎやかな和田家だったのに、ちょっと言葉に出して聞けば、案外簡単なことだったのかもしれないのに、そんな風に長年口に出せずに胸の奥にしまっている想いがあるなんて、家族って不思議です。


 一緒に住んでいることで、お互いの性格や行動がすっかりわかっている気になっても、案外知らない部分、言えなかったり聞けなかったりする部分があるんだなあと思います。私も、親元を離れて今頃になって、自分の生まれ育った家庭について、家族ってなんだろうと今だに考えることが多いです。


 考えてみると、人間って歳を取るほどあの時彼女はどう考えていたんだろうとか、彼はこういいたかったんじゃないだろうかとか、家族や友人の、語られなかった思いを推し量って自分で納得する解釈をつけるような作業を、知らず知らずのうちに心の中でしているように思います。

 そうやって自分なりの決着をつけて自分を納得させながら。


 思い出の中で、おじいちゃんが死んだ後、かわらけ投げをしている幼い頃の喜代美ちゃん、かわいいなあ。

「おじいちゃんが、天国で幸せでいられますように。」

「おじいちゃんにもう1回逢えますように。」


 願いがかなって、もう一度おじいちゃんに逢えたと言う喜代美ちゃんの言葉を計りかねて、草々さんはどういう意味かと聞き返します。

 おじいちゃんの落語のテープが縁となって、徒然亭に住む事になり、ぎょうさん笑って生きることができた喜代美ちゃんにとって、そのつながりをたどっていくことは、もう一度おじいちゃんに逢えることと同じことだったのでしょうか。そして、その中にはもちろんA子の姿も・・・。


 次回はA子に出会えそうですね。喜代美ちゃんの話にもらい泣きしている草々さんおかしかった~。


 そういえば、帰宅してテレビをつけたら、スタジオパークに小草若さんが出ていました!時計を見るとあと5分。質問コーナーに一生懸命答える所だけ見れました。新婚さんなんですね。

 狂言も観てみたいなあ。生まれ変わっても狂言師になりたいと言ってましたね。芸事の修行をしている人って、なにか凛としたストイックな雰囲気があって素敵ですね。