今年に入ってから、また怖い事件が起こりましたが、思春期の子を持つ親は、こういう事件を他人事と思えないよね~と高校のお母さん達と話しました。テレビでニュースを観て、息子に、携帯で今どこ?って聞いたり、きのうの夜いなかったよねって言ったり。
以前息子が父親を殺したという事件の時は、職場の先輩ママが、「うちだって、息子がすごく父親に反抗していて、父親も一言余計なことを言うから、ハラハラするの。一歩まちがえれば、うちで起きたっておかしくないのよ。可哀想に殺人犯になっちゃって。」と話していて、私も、もしこれが自分の子どもだったらと想像して暗い気持ちになっていたので、みんなそんな風に感じているんだなあと思いました。
でも、人を殺そうと思う考え自体、私が考えるには、相当な葛藤があっての最終手段くらいに人間にとって遠いものだと思うし、まして親や兄弟は、もしもの時一番頼れる存在だし、打算のない愛情でつながっているものだと思うので、殺すということの一番遠くにある気がするのに、このところ、尊属事件が多いので、その度になぜだろうと考え込んでしまいます。
その子が特別変わっていて、他の子にはあてはまらないと考えると一番気持ちが楽ですが、そうじゃなくて、子どもが育つ環境とか、親の生活とか、現代の社会のしくみとか、そういったものが交じり合って、そういう子が生まれる土壌があるのだとしたら、どうすればそれを回避できるんだろうかと思います。
家族として一緒に住んでいても心はバラバラだったのだろうか。
何か言えずにずっと心の奥にためていたものがこういう形になって現れたんだろうか。
今の状況を後先を考えずリセットしたかっただけなんだろうか。
勉強が出来たり、いい子だったら愛してあげるという、条件付の愛情しかもらってなかったんだろうか。
「死」というものが育っていく過程で身近になかったからなんだろうか。
答えが見つからないながらもあれこれ考えてみると、悪いのは子どもじゃなくて、そこまで追い詰めた周りにあるんじゃないかという苦い想いがこみ上げてきます。
少年犯罪の後味の悪さは、その背後にある問題を解決しないことには、いくら加害者に罪を償わせても、本当の問題解決にならない所からきていると思います。
「なんか文句があるなら、言葉で言ってね。私もうちょっと長生きしたいから。自殺したり、人を殺したりするくらいなら、他にいくらでも方法はあるんだから。」と、子どもに言っては、「そんなことするわけないじゃん。」と言い返されています。