肉親の死を受け入れること | 甲羅に似せて

甲羅に似せて

蟹は甲羅に似せて穴を掘るそうです。私も日々の想いを
蟹が穴を掘るように綴っていけたら・・・。

 昨日は母の四十九日でした。


 今年6月に入院して、10月に亡くなるまで、考えてみればたった4ヵ月。それまではバリバリ仕事をしていた元気な印象が強くて、お見舞いに行って人工呼吸器をつけて寝たきりになっているを見ても、これはからだがここにいるだけで、心は別の所にいるんだというようなことばかり思って、焼き場から出てきた骨を拾っている時にさえ、なにかひとごとのように感じられました。

 母の生前着ていた服やお財布などの小物を、今使いながら、生前のいろんな場面をとりとめなく思い出してはいたのですが、法要で、読経の声やお線香の匂いから、お葬式のいろいろなことが思い出されて、ああ、本当にもうこの世にいないんだなあと、しみじみ思い、涙が出ました。


 誰でもいつかは年老いて死ぬんだけれど、あまりに身近な人が死ぬと、どういう気持ちだったのかとか、心残りはなかったのか、もっとしてあげられることがあったんじゃないかとか、いろいろ考えてしまってせつないです。もっと生きたかっただろうし、やりたいこともあったと思うのに・・・。

 

 なんだか、生を途中でばっさりと断ち切られたような、そんな唐突さと痛々しさを感じます。体はだんだん年取ってきてはいたけど、中身は若いままで老いというものを感じなかったからかもしれません。天寿を全うしたというようには思えなくて・・・。


 せめて、忘れないで、いつも思い出してなつかしんであげようと思いました。