浦上天主堂へつづく坂の途中に 
原爆で崩れ落ちた鐘楼の残骸が 雨にけぶっている

現 浦上天主堂は原爆投下から14年後に 
当時の姿に似せて再建された

広島に原爆ドームがあるように
なぜ 長崎は浦上天主堂を 原爆遺構として遺さなかったのか


#怒りのヒロシマ 祈りのナガサキ


カトリック信者の永井医師が唱えた
「汚れなき小羊の燔祭」

”長崎  ことさら浦上地区が爆心地になったのは 平和を実現するために浦上の民に神が与えた試練である“

わたしには宗教観がないので
その試練や自己犠牲の精神を理解することは難しい
反戦も平和も人類がなせる仕事ではないの?

昭和56年に日本を訪れた
ローマ法王 ヨハネ・パウロ2世は
「神が与えし試練」を否定した

『戦争は“人間のしわざ”です
過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです
戦争と核兵器の脅威にさらされながら それを防ぐための各国家の果たすべき役割  個々人の役割を考えないで済ますことは許されません』



終戦後 近代的都市へと変貌を遂げ
非核 反戦を声高に発信し続ける広島と
被曝モニュメントを掲げることを拒み 
祈りで平和を希求してきた長崎

そこに属さないわたしたちは 
未来に対する責任を じゅうぶん担えているのかな


最終日は 恵みの雨 でした雨



大浦天主堂

空港へ向かう前に腹ごしらえステーキ
長崎和牛 大阪屋
富士山🗻が ひょっこり見えました



めがね橋の護岸に埋め込まれたハートストーンは
映えスポットだけど
長崎には至るところにハートがある
稲佐山から見た夜景のなかにもハートがあるので
探してみてね♡



余談
旧浦上天主堂をモニュメントとして遺さなかったのは 原爆を投下したアメリカが キリスト教国として
都合が悪いので圧力をかけたという説もある