第九話 da capo


西陽のあたる古いバス停
赤く錆びて字が読めない


古びたベンチは撤去され
風雪を避ける為の
トタン屋根の小屋のような
待ち合所がある


それすらも
すすけて寂しい…


遠い記憶を手繰ると
私はつかの間
16歳の娘に戻る




そうして

身体の奥の奥のほうで
現在の私とせめぎあい

やがて
融和する


ねぇ…匡?
あなたの眼に映る私は
どんな女に見えるのだろう?










品川駅でタクシーを降り
横須賀線に乗り
ボックスシートの車両に並んで座った

平日の午後3時
乗客はまばらで
匡に身体を支えられたまま
私はつかの間
眠りにおちたようにも思う


額を顎と喉の間にはさまれて
ボタンを外したシャツと胸のすき間から体温と共にたちのぼる
男の匂いに微睡んだ




鎌倉駅で江ノ電に乗り換えると
匡がどこへ行こうとしているのかがわかった
着いたばかりの電車から
吐き出されるように降りてくる
高校生の波に逆らって匡に手を引かれホームを歩いた

先頭車両に乗り
匡の身体と手すりの間に 
挟まれるようにして
やがて動き出した江ノ電の
緩い速度に身を任せた


民家の間を抜けて
稲村ヶ崎にさしかかると
視界が広がり海が見えはじめた

雨は上がり薄日が差し始めている


鎌倉高校前で降りて
車道を横切り砂浜へと階段を下りた

「砂の色が全然違うね」

「吉里吉里?」

「ああ。約束、守れなかったね。」

「私も、待てなかったもの。」


「真尋…」

「ん?」

「会えて良かった。何年もかかってしまったけれど、どうしても次に進みきれないもどかしさが、いつも気持ちのすみにあってさ。」

「若くて綺麗なうちに会いたかったわ。意地悪よね。」

「いや、君はとても綺麗だ。」

少し前を歩いている
匡の振り向いた顔が
ストップモーションになる

胸を撃ち抜かれるような
鈍い痛みに息が…

息ができないよ


砂に足をとられながら
追いつこうとして手を伸ばし
差し出される両手のその真ん中へ
身体ごと飛び込んだ










波の音が聞こえる



ベッドの上で上体を起こして座る匡の視線が
うす暗い窓から私に移る




バス停であなたに乳房を触られて
身体の反応に戸惑っていた私ではないのよ

何度か恋をした

傷ついたこと
傷つけたこと

流されるまま受け入れた経験もある
そうして
結婚し母親になった






軋むベッドのうえをすすみ
私からキスをした

胸のなかで包むように顔を抱いて
受け身でいる男の衝動を
そっと後押しする

躊躇いを押し返すように
入れかえられた身体の重さに
胸が高鳴る






そうして


私たちはようやく




初めて




結ばれた