「ごめん…」


横断歩道を渡りきる前から
顔の前に手を立てて
詫びながら駆け寄ってきた


この人は、いつも謝ってばかり


確かに今日は30分待たされたけど

ドラッグストアのコスメコーナーをながめていたら、あっという間に時間は潰せた


「ゴハンにしようか?
それとも…」

「それとも、の方で」

「え?ああ、そう?」


頷く変わりに深呼吸する
平静に見せる裏側で
ほんのりと体が火照る


タクシーで5分ほど移動し ホテルから1ブロック手前で降車する 

いつもそれが無駄に思えて仕方ないのだが、何も言わず半歩ほど距離を保ったまま男の後ろに従った


部屋に入ると
私は明るい照明のしたで
躊躇わずに服をぬぐ


ブラとショーツだけになったところで、まだネクタイを緩めている男の前に立ってボタンに手をかける

「何か飲もうか?」

私は構わずにベルトを外し
ファスナーをおろすと
スラックスはするりと床に落ちた


トランクスの上から
両手で包むようにして
はぁ…と息をかける


引き気味になる腰を押さえて 
ピンとシーツの張るベッドに倒れこんだ


その先は
しばらく男のしたいように
身体を委ねる


転がりながらキスをして

身体を裏返されたり
股関節を限界まで開かれたり

無言の指示にただ、従う



つかまれた左の足首が
男の肩にかけられ
ぐっと下半身を引寄せられていく




ワーキングプア…


働いても働いても
ちっとも楽になんかならない
最近買ったものといえば3歳の娘の遊び着と保育園に持たせる
お昼寝用の小さな布団セット…

とても自分には回らない



若い結婚だった
試練はすぐに追いついて
乱暴に家のなかを荒らしていった


若さとか、勢いとか
我慢が足りないとか
無責任だとか

言いたいように言われたけれど

若さが理由かと訊かれたら
10年経っても幼稚なままの夫だと答えたろう



離婚した元夫からは
ここ3ヶ月 養育費の振込みが滞っている
電話にも出ない


「ちゃんと家裁に調停を申し立てなくちゃ駄目だよ」


相談したつもりはなかった
職場で愚痴った時にたまたまそばにいて口を挟まれた


男もバツイチで
子供との面会交流調停を申し立てたという


詳しく聞きたいと言って
仕事が休みの日に約束をした

久しぶりの外食だった
離婚後あまり寄りつかなくなった実家に娘をあずけて出かけた

ファミレスを予想していた私を
彼はイタリアンへ案内した
厨房もホールも男性スタッフのみで、人気店なのだろう
若い女性客で満席だった


メニューにブイヤベースがあった
私はそれを食べたことがなかった

注文は二人前からと書かれていたので躊躇っていると
彼の方からすすめてくれた

熱々を私が取り分けた
ひと匙を慎重に口に運ぶと
まるで何日も飢えていた子どものように ふた匙めからは一心不乱に食べた

おそらく私の目は
潤んでいたと思う


次は娘さんも一緒にどうぞと言われた



子どもではないから
わかっているつもりだった
こういう関わり方が
どんな関係に向かっていくかということを



初めて関係をもった翌日
泣きながら目覚めた


私は愚かだから
何度でも失うのだ


私は愚かだから
何度でも憎むようになるのだ



だけど

自分の身体を明け渡すことの、なんて心地よい事だろう


ただほんのりと
恋をするだけの喜び


それがいい

それでいい



あなたは知らなくて良いよ


私のささやかな抵抗になど