梅雨が明けていたらしいという発表から数日後
毎年恒例の花火大会に ひとり出かけた
浴衣姿が目立つ人の波のなかに
チノパンにTシャツというラフな格好で紛れながら
運良く川縁のロープで仕切られた観覧スペースの隅に一人ぶんの場所を確保し、
小さく畳んだシートを敷いて腰を下ろした
隣には幼子を2人連れた若い母親が
キャラクターシートのうえに小さなクッションをのせ、荷物で膨らんだマザーズバッグを脇に置いた
バッグから取り出したスナック菓子や飲み物でひと息ついたのもつかの間、下の子がトイレに行きたいと言ってシートのうえで足踏みを始めた
辺りを見回した母親は
上の子どもに何事か囁くと
下の子にだけ靴をはかせ
慌ただしくどこかへ立ち去った
残された子どもは…おそらく幼稚園の年長くらいだろうか
三角座りのお腹と太ももの間にペットボトルを挟むようにして
身動きもせず前を向いていた
むしろ、こちらの方が戸惑っていた
回りの善意に期待するとでも言うのだろうか…子どもを一人残していく、あまりにも不用心な行いにあきれてしまった
頼まれたわけでもないのに
私は監視役よろしく
回りの気配に神経をとがらせた
打ち上げ開始30分前になると
地元の醤油メーカーが
広告入りの団扇を配り始めた
並んで座る私と幼女を見て
法被を着た若い男性は
「お母さんと1つずつね」
というと、
幼女に団扇を2本手渡した
わざと視線を合わせないようにする私に幼女は
おずおずと1本さしだした
「私はいいの、妹にあげて」
つとめて優しく言ったつもりが
自分でもびっくりするくらい冷たい声だった
突然花火があがり
あちこちから歓声がもれた
どうしたことだろう
遅すぎないか?
キャラクターシートのうえで1人きり、幼女は空を見上げている
私は花火どころではなくなって
戻らない母親に不信感がつのった
汗で濡れた前髪が額に張りついて
心細い横顔がいっそう憐れに見えた

数年前
私は当時の恋人とのあいだに身ごもった命を堕胎した
漠然とではあるが
結婚するものと思っていたので
母子手帳の交付を受け
検診にも2度ほど出かけた
ある日 自宅に訪ねてきた
恋人の父親を名乗る男性に
子どもを堕ろすように説かれ
封筒に入ったお金を渡された
「赤ん坊を盾に結婚するつもりになられても困る
うちはそういう家じゃないんでね」
家柄の事を言われても
どんな不都合があるのか 計りかねたが、彼の実家は地元ではそれなりの名士らしい
時間をかけて両親を説得するから
今回は中絶して欲しいという恋人の言葉に愕然として
友人に細かな手続きを頼んで
ひっそりと命を葬った
物思いにふけっていると
幼女と隣り合う私の体に
ぐったりと寄りかかる体の重みに気づいた
困った…
寝てしまったのだろうか…
トイレが混んでいるのか
暗がりで道を過ったのか
母親は戻らない
重い体を押し返すことも憚られ
小さな背中をなだめるようにトントンと叩いた
花火はフィナーレへと華やかさを増していた
縁のない土地の寺で
水子供養した日を思い出す
線香の他 お供え用に持参した卵ボーロを一粒口に含むと、舌の上でじわりと溶けた触感が甦った
どうして…
ひとりきりでも
育てようという気持ちにならなかったのか
今 はじめて後悔する
チノパンに涙が落ち
いくつも染みが広がった
不意に背後から
「ごめんなさい」
という女性の声にハッとして
顔を向けないまま幼女から体を離した
「場所がわからなくなってしまって…お世話をかけました」
無言のまま頷き、
花火が終わるのを待たずに
その場所を離れた
火薬の香りがした
屋台の発電機の音と
クライマックスへと打ち上げの間隔が狭まる花火の音と
何を話しているのかわからない
大衆のどよめきを背に
土手を下った
駅の近くまで来たときようやく
脇に挟んだ団扇に気づいた
汗をかく幼女にむけて
ゆっくりと扇ぎ続けた右の手首を揉むと
再び
涙がこぼれた

毎年恒例の花火大会に ひとり出かけた
浴衣姿が目立つ人の波のなかに
チノパンにTシャツというラフな格好で紛れながら
運良く川縁のロープで仕切られた観覧スペースの隅に一人ぶんの場所を確保し、
小さく畳んだシートを敷いて腰を下ろした
隣には幼子を2人連れた若い母親が
キャラクターシートのうえに小さなクッションをのせ、荷物で膨らんだマザーズバッグを脇に置いた
バッグから取り出したスナック菓子や飲み物でひと息ついたのもつかの間、下の子がトイレに行きたいと言ってシートのうえで足踏みを始めた
辺りを見回した母親は
上の子どもに何事か囁くと
下の子にだけ靴をはかせ
慌ただしくどこかへ立ち去った
残された子どもは…おそらく幼稚園の年長くらいだろうか
三角座りのお腹と太ももの間にペットボトルを挟むようにして
身動きもせず前を向いていた
むしろ、こちらの方が戸惑っていた
回りの善意に期待するとでも言うのだろうか…子どもを一人残していく、あまりにも不用心な行いにあきれてしまった
頼まれたわけでもないのに
私は監視役よろしく
回りの気配に神経をとがらせた
打ち上げ開始30分前になると
地元の醤油メーカーが
広告入りの団扇を配り始めた
並んで座る私と幼女を見て
法被を着た若い男性は
「お母さんと1つずつね」
というと、
幼女に団扇を2本手渡した
わざと視線を合わせないようにする私に幼女は
おずおずと1本さしだした
「私はいいの、妹にあげて」
つとめて優しく言ったつもりが
自分でもびっくりするくらい冷たい声だった
突然花火があがり
あちこちから歓声がもれた
どうしたことだろう
遅すぎないか?
キャラクターシートのうえで1人きり、幼女は空を見上げている
私は花火どころではなくなって
戻らない母親に不信感がつのった
汗で濡れた前髪が額に張りついて
心細い横顔がいっそう憐れに見えた

数年前
私は当時の恋人とのあいだに身ごもった命を堕胎した
漠然とではあるが
結婚するものと思っていたので
母子手帳の交付を受け
検診にも2度ほど出かけた
ある日 自宅に訪ねてきた
恋人の父親を名乗る男性に
子どもを堕ろすように説かれ
封筒に入ったお金を渡された
「赤ん坊を盾に結婚するつもりになられても困る
うちはそういう家じゃないんでね」
家柄の事を言われても
どんな不都合があるのか 計りかねたが、彼の実家は地元ではそれなりの名士らしい
時間をかけて両親を説得するから
今回は中絶して欲しいという恋人の言葉に愕然として
友人に細かな手続きを頼んで
ひっそりと命を葬った
物思いにふけっていると
幼女と隣り合う私の体に
ぐったりと寄りかかる体の重みに気づいた
困った…
寝てしまったのだろうか…
トイレが混んでいるのか
暗がりで道を過ったのか
母親は戻らない
重い体を押し返すことも憚られ
小さな背中をなだめるようにトントンと叩いた
花火はフィナーレへと華やかさを増していた
縁のない土地の寺で
水子供養した日を思い出す
線香の他 お供え用に持参した卵ボーロを一粒口に含むと、舌の上でじわりと溶けた触感が甦った
どうして…
ひとりきりでも
育てようという気持ちにならなかったのか
今 はじめて後悔する
チノパンに涙が落ち
いくつも染みが広がった
不意に背後から
「ごめんなさい」
という女性の声にハッとして
顔を向けないまま幼女から体を離した
「場所がわからなくなってしまって…お世話をかけました」
無言のまま頷き、
花火が終わるのを待たずに
その場所を離れた
火薬の香りがした
屋台の発電機の音と
クライマックスへと打ち上げの間隔が狭まる花火の音と
何を話しているのかわからない
大衆のどよめきを背に
土手を下った
駅の近くまで来たときようやく
脇に挟んだ団扇に気づいた
汗をかく幼女にむけて
ゆっくりと扇ぎ続けた右の手首を揉むと
再び
涙がこぼれた
