第十九話 妹
7月の終わり
新千歳空港に降り立った
夏休みに入る前に訪れる予定だったが
男の仕事の都合もあり
この時期になってしまった
羽田でも新千歳でも
空港は家族連れが多く
開放感に満ちていた
1階カウンターで
レンタカーの予約確認をして
空港ロビーを出ると
陽射しは東京と変わらない印象を受けたが
湿度が低く爽やかだ
時おり強く吹く風に帽子を押さえながら男のあとに続いて送迎バスに乗り込んだ
道央自動車道に乗って
すぐに札樽自動車道に入った
ラジオから流れるレゲエに
今頃になって睡魔と戦いながら
どこまでも広く青い空に自分が何をしにここまで来ているのか忘れてしまいそうになる
一時間も走っただろうか…
銭函ICを下りて一般道に出た
しだいに『張碓』という文字が繰返し出てくるようになった
男は前にも来たことがあるかのような手際のよさで ”ドライブイン“と
大きく書かれた駐車場に入り車を停めた
「食事?なんだか寂しい店だね
空港で済ませても良かったんじゃないの」
「馬鹿言うな 行くぞ」
昼時だというのに
駐車場は他に車が2台停まっているだけだ
店のドアを開けるとガラガラと賑やかなベルが鳴った
「いらっしゃいませ」
その声に一瞬胸を突かれるような衝撃をうけた
厨房に顔を向けることが出来ず、男よりも先に店の奥のいちばん厨房から遠い席を選んで座った
ビールの銘柄が書かれたガラスのコップを盆にのせ
油のシミのついた手書きのメニューが運ばれてきた
「いらっしゃいませ」
見ると、小学生の女の子だった
大人用エプロンを肩紐を調節して着けている
思わず向かいに座った男の顔を見ると
穏やかな表情を向けている
「オムライス…
ケチャップはかけないでと伝えてくれる?」
「わかりました お連れ様は?」
「俺は そうだな…しょうが焼き定食を」
「かしこまりました」
きちんとお辞儀をして戻っていく少女の後ろ姿の
運動靴を目で追って
その先の厨房を恐る恐る見た
ママ…
新橋の店で「弓子」と名乗り
美人と評判だった母
常連の子を宿し
借家をあてがわれ
生活の糧を父に頼った母
前触れもなく家を追われ
消息もわからないままだった母
お冷やを持つ手が震える…
厨房は一人で切り盛りしているようだった
客は他に作業着姿の二人連れと 氷が溶けて水っぽくなったアイスコーヒーの事など忘れスマホを打つ茶髪の若い女だけだ
料理は厨房から母が運んできた
顔を上げることが出来ず俯いたままの私の前に
ケチャップのかかっていないオムライスが置かれた
「ごゆっくりどうぞ」
その声に嗚咽しそうになる口許を押さえた
「ゆっくり食べるといい」
男はそれきり黙って
自分も食事に箸をつけた
コップの回りに水溜まりが出来ている
滑らないように慎重につかんで飲み干すと
先程の少女がピッチャーを抱えて近づき
水をつぎ足してくれた
やわらかな横顔を見る
美人になる顔をしている…
食事を済ませると
伝票をもって自らレジに向かった
「1780円になります」
千円札を2枚差し出し
お釣りを受けとるほんの一瞬目があったが
なにも言わずに急いで店を出た
後から出てきた男は小走りに近づくと
「良いのか?」
と聞いてきた
「行こう…もう充分よ」
車に乗り込もうとしたとき
ドアベルがけたたましく鳴って少し息の上がった母が何かを手にもってこちらを見ている
「お客さん お忘れものです」
母に向かって歩み出そうとしたとき
店の窓から心配そうに窺う少女と目があった
私は…動けなくなってしまった
変わりに男が引き返して
母から何かを受け取った
「遠くからお越しで?」
「はい 東京から今朝」
「新婚さん?」
「嫁さんです」
「ああ…そうですか お似合いで…」
「料理、とても旨かった」
「ありがとうございます
あの…お連れ様は…ケチャップが…」
「はい?」
「いえ 何でもありません
お引き留めしてごめんなさい ありがとうございました」
下げた頭をいつまでも上げず しまいに店から出てきた少女に手を引かれて戻るのを 遠ざかる車のなかから
ずっと見つめていた

7月の終わり
新千歳空港に降り立った
夏休みに入る前に訪れる予定だったが
男の仕事の都合もあり
この時期になってしまった
羽田でも新千歳でも
空港は家族連れが多く
開放感に満ちていた
1階カウンターで
レンタカーの予約確認をして
空港ロビーを出ると
陽射しは東京と変わらない印象を受けたが
湿度が低く爽やかだ
時おり強く吹く風に帽子を押さえながら男のあとに続いて送迎バスに乗り込んだ
道央自動車道に乗って
すぐに札樽自動車道に入った
ラジオから流れるレゲエに
今頃になって睡魔と戦いながら
どこまでも広く青い空に自分が何をしにここまで来ているのか忘れてしまいそうになる
一時間も走っただろうか…
銭函ICを下りて一般道に出た
しだいに『張碓』という文字が繰返し出てくるようになった
男は前にも来たことがあるかのような手際のよさで ”ドライブイン“と
大きく書かれた駐車場に入り車を停めた
「食事?なんだか寂しい店だね
空港で済ませても良かったんじゃないの」
「馬鹿言うな 行くぞ」
昼時だというのに
駐車場は他に車が2台停まっているだけだ
店のドアを開けるとガラガラと賑やかなベルが鳴った
「いらっしゃいませ」
その声に一瞬胸を突かれるような衝撃をうけた
厨房に顔を向けることが出来ず、男よりも先に店の奥のいちばん厨房から遠い席を選んで座った
ビールの銘柄が書かれたガラスのコップを盆にのせ
油のシミのついた手書きのメニューが運ばれてきた
「いらっしゃいませ」
見ると、小学生の女の子だった
大人用エプロンを肩紐を調節して着けている
思わず向かいに座った男の顔を見ると
穏やかな表情を向けている
「オムライス…
ケチャップはかけないでと伝えてくれる?」
「わかりました お連れ様は?」
「俺は そうだな…しょうが焼き定食を」
「かしこまりました」
きちんとお辞儀をして戻っていく少女の後ろ姿の
運動靴を目で追って
その先の厨房を恐る恐る見た
ママ…
新橋の店で「弓子」と名乗り
美人と評判だった母
常連の子を宿し
借家をあてがわれ
生活の糧を父に頼った母
前触れもなく家を追われ
消息もわからないままだった母
お冷やを持つ手が震える…
厨房は一人で切り盛りしているようだった
客は他に作業着姿の二人連れと 氷が溶けて水っぽくなったアイスコーヒーの事など忘れスマホを打つ茶髪の若い女だけだ
料理は厨房から母が運んできた
顔を上げることが出来ず俯いたままの私の前に
ケチャップのかかっていないオムライスが置かれた
「ごゆっくりどうぞ」
その声に嗚咽しそうになる口許を押さえた
「ゆっくり食べるといい」
男はそれきり黙って
自分も食事に箸をつけた
コップの回りに水溜まりが出来ている
滑らないように慎重につかんで飲み干すと
先程の少女がピッチャーを抱えて近づき
水をつぎ足してくれた
やわらかな横顔を見る
美人になる顔をしている…
食事を済ませると
伝票をもって自らレジに向かった
「1780円になります」
千円札を2枚差し出し
お釣りを受けとるほんの一瞬目があったが
なにも言わずに急いで店を出た
後から出てきた男は小走りに近づくと
「良いのか?」
と聞いてきた
「行こう…もう充分よ」
車に乗り込もうとしたとき
ドアベルがけたたましく鳴って少し息の上がった母が何かを手にもってこちらを見ている
「お客さん お忘れものです」
母に向かって歩み出そうとしたとき
店の窓から心配そうに窺う少女と目があった
私は…動けなくなってしまった
変わりに男が引き返して
母から何かを受け取った
「遠くからお越しで?」
「はい 東京から今朝」
「新婚さん?」
「嫁さんです」
「ああ…そうですか お似合いで…」
「料理、とても旨かった」
「ありがとうございます
あの…お連れ様は…ケチャップが…」
「はい?」
「いえ 何でもありません
お引き留めしてごめんなさい ありがとうございました」
下げた頭をいつまでも上げず しまいに店から出てきた少女に手を引かれて戻るのを 遠ざかる車のなかから
ずっと見つめていた
