第十五話 心の闇

「先方とお話を進めてもよろしいのかしら?」


帰宅するのを待ち構えていた恭子さんは
無言のままニ階へ上がる私を踊り場まで追ってきた

わざとがさつに頭をかきながら 首だけ振り向いてみせた


「まだ一度しか会っていないんですよ?せっかちな人ですね」

「あちらは随分気に入ってくださってるというじゃない?
これまでの事を考えたら、あなたには腹をくくって頂かないと…」

「ほー、見直してくれまして?」

「素行の悪さが露呈する前に 短期決戦でお願いしますね」

「まるで詐欺みたいですね」

「あなた、いつかあたくしに感謝なさるわ
この家の娘として嫁に出してもらえるのですから」

「ごまかしたってバレますよ 
母親譲りのふしだらな娘ですから」

みるみる 恭子さんの表情が強ばるのがわかる

「もっと早くにあの女から引き離しておくべきだった」

「それはそれは残念でした 別宅にいた頃 両親の刺激的な交わりを間近で見て育ちましたので」

「沙弓さんッ」


踊り場から弾かれたように
階段をかけ上がると
恭子さんは私の頬を思いきり叩いた

「なんてふしだらな!」

「ふしだら?私が?それともママ?」

「同じ血が流れているんだわ あの女と」

「そうね
恭子さんに足りないのは意外性かしら?
鮪のように横たわって待つだけじゃ駄目ですよ」


再び振り上げられた腕を押さえ込んで恭子さんの体を壁に押しつけた


「壁ドンて知ってます?
あなたにこんなこと出来る人はいないでしょう?
情熱的に唇を奪われた事はありますか?それはいつ?」


ジリジリと近づける顔に
恭子さんの息がかかる
まだ落としていない赤いルージュが なんて艶かしいことだろう…


「奥さま!お嬢様!」

騒ぎに気づいた芳子が重たい体を揺すりながら階段を上ってくると二人の間に割り込むように体を入れてきた


「奥さま お風呂にお入りになってくださいまし」

あっけない幕切れに安堵の表情を見せて 恭子さんは芳子に肘を支えられながら、途中からスピードをあげて階段を下りていった
廊下の奥で勢いよく閉めた浴室のドアの震動が階段の窓にも伝わり微かに軋んだ
負けないくらい自室のドアを思いきり閉めベッドに倒れこみ
仰向けになってパンストを脱いぐと、ふかふかのピローを顔にのせて嗚咽をおさえた






少し寝ていたのだろうか
ノックの音に目が覚めた


「お嬢様、お食事はどうされますか」

「よっちゃん…ここにきて お願い」


ベッドに近づく芳子の体に腕を回し強く抱きよせた
前掛けはお日様の匂いと
ほのかに醤油の香りがした


「奥さまにあのようなことをなさってはいけません」

「今さらどう思われようと構うもんか」

「お嬢様…この度のご縁談は
どうかおまとめになってくださいまし」

「よっちゃんも私に出ていってもらいたいの?」


上目遣いで芳子を見上げる


「とんでもない、お嬢様にお幸せになって欲しいんです」


「なれるかしら?
私のような薄汚れた女が」

「お嬢様はお美しい…それに」

「ん?」

「お身体は清いままです」

「どういう意味よ」

「もっと早くに申し上げるべきでした
ただ 忘れましょうとお約束しましたので」

「回りくどいなぁ」


「大旦那さまは、あの晩は事を為せなかったのです 為しようがなかった」

「なんなのよ」

「糖尿が進んで既に機能しておりませんでしたから」

「は?…」

「不幸な目に遭われていたのは
お嬢様ではありませんでした」