第八話 violation
窓のない間接照明だけの部屋で半泣きの声をあげ続けた
優しく穏やかな恋人はそこにはいなかった
乱れた前髪に隠れて表情は見えず
強引な律動のあと避妊しないまま私のなかで
何度か果てた
重い頭の隅で最終月経がいつだったか思い出そうとしたが、すぐに揺り動かされ記憶を整理する暇は
与えられなかった
それは長くて苦痛に満ちた夜だった…
二日間会社を休み、三日目の朝もう一日休みたいと
職場に電話を入れた
祖母が部屋まで運んでくれた食事には ほとんど
手をつけられず、心配そうに額に手を置く祖母に
心のなかで手を合わせた
昼前に祖母が買ってきたハーゲンダッツを食べると
少しだけ胸がすっとして再び眠りに落ちた
夢のなかで私は父の病室のベッドのなかにいた
父が入院していた頃、学校からそのまま病院へ直行し父のベッドで添い寝した
薬の匂いと、痩せて小学生の私でも腕を回せるほど
細くなった身体に泣いた
懐かしい…
ここに戻ってこられた…
父の顔を見上げたが前髪が顔を隠している
ふと父の腕に力が戻り私は強く抱かれた
身を委ねて夢心地でいると、父の手が私の下腹部にのびてきた
『パパ?』
もう一度 父の顔を見上げる
それは父ではなくバイト先の店長だった
悲鳴をあげて腕を突っ張った
男の手が乳房をまさぐる
身体をよじって睨みつけた相手は
今度は史哉だった
悲しい顔で覆い被さり首を絞められた
私は混乱して史哉の名前を声なき声で叫び続けた
能面のようになっていく史哉の顔が再び変化し始めた
その顔が、父にも史哉の父にも見える
輪郭がはっきりしてくるとどちらの顔になるのか
見届けるのが怖くなって両手で顔を覆った
朱音…
朱音
「朱音!」
恐る恐る目を開けると不安そうに覗きこむ
祖母の顔が見えた
きつく絞ったタオルで顔をふいてもらうと、ようやく一息つくことができた
「朱音、年寄りが口を挟む事ではないけれど
史哉君となにかあったのかい?」
なにも答えられず
タオルケットを掴む手に力が入る
「史哉君も朱音も早くに片親を亡くして苦労しているから、若い人には珍しい芯の強さを持っていると
おばあちゃんは思うよ
お互いの淋しさを理解できる 良いパートナーだよ」
おばあちゃん
ごめんなさい…
「朱音、気を悪くするかも知れないけど 聞いておくれ
朱音にはすこし破滅的なところがあるとおばあちゃんは心配しているんだよ」
おばあちゃん…
「気立てがよくてしっかりしているのに
良い状態を維持するというより 壊してしまいたくなるようなところがあるだろう?
朱音は おばあちゃんが気づいていないと思っていただろうけど バイトをしていた頃のお付き合いの事はうすうす分かっていたんだよ」
祖母が何を話そうとしているのか、次第に胸が騒ぎ始めた
「おばあちゃん、あの店長さんの家を訪ねたんだよ 年甲斐もなく探偵みたいな事をしてね
家の中から赤ん坊の鳴き声がしていたから 事情は察したの
『孫娘がお世話になりました』と出産祝いをもって行ったんだよ」
小柄で温和な祖母の行動とは思えなかった
「おいとまをして駅に向かう途中 店長さんが追いかけてきたから、おばあちゃんね 言ったんだよ
『孫の身体に随分無茶なことをしているようだけど 責任をとって 奥さんと別れて一緒になってくれますよねぇ?』と
すっかり動転して土下座されたんだよ」
「おばあちゃん、そんなこと初めて聞いたわ」
「当たり前だよ、言うつもりはなかったからね 事の次第によっては殺されるかもしれないと覚悟していたんだよ
朱音、まっとうに生きなくては駄目だよ
悲しい思いをたくさんしてきたから これからはちゃんと自分の幸せに前向きにならなくては…これはおばあちゃんの遺言と思ってちょうだい
史哉君と幸せにおなり」
「おばあちゃん 私、史哉に嫌われたかもしれない…」
「そんなことあるものか
さっき 朱音が食べたアイスクリームは史哉君が買ってきたんだよ
朱音が何も食べていないと話したら買ってきてくれたの
おばあちゃんのご飯は食べなかった朱音が史哉君のアイスクリームは食べたんだよ
朱音が食べたいものをちゃんとわかっている
すごいねぇ…」
史哉…
身体を突き抜ける哀しみのあと
僅かに差し込む光に向かうべき方向を
示された気がした

窓のない間接照明だけの部屋で半泣きの声をあげ続けた
優しく穏やかな恋人はそこにはいなかった
乱れた前髪に隠れて表情は見えず
強引な律動のあと避妊しないまま私のなかで
何度か果てた
重い頭の隅で最終月経がいつだったか思い出そうとしたが、すぐに揺り動かされ記憶を整理する暇は
与えられなかった
それは長くて苦痛に満ちた夜だった…
二日間会社を休み、三日目の朝もう一日休みたいと
職場に電話を入れた
祖母が部屋まで運んでくれた食事には ほとんど
手をつけられず、心配そうに額に手を置く祖母に
心のなかで手を合わせた
昼前に祖母が買ってきたハーゲンダッツを食べると
少しだけ胸がすっとして再び眠りに落ちた
夢のなかで私は父の病室のベッドのなかにいた
父が入院していた頃、学校からそのまま病院へ直行し父のベッドで添い寝した
薬の匂いと、痩せて小学生の私でも腕を回せるほど
細くなった身体に泣いた
懐かしい…
ここに戻ってこられた…
父の顔を見上げたが前髪が顔を隠している
ふと父の腕に力が戻り私は強く抱かれた
身を委ねて夢心地でいると、父の手が私の下腹部にのびてきた
『パパ?』
もう一度 父の顔を見上げる
それは父ではなくバイト先の店長だった
悲鳴をあげて腕を突っ張った
男の手が乳房をまさぐる
身体をよじって睨みつけた相手は
今度は史哉だった
悲しい顔で覆い被さり首を絞められた
私は混乱して史哉の名前を声なき声で叫び続けた
能面のようになっていく史哉の顔が再び変化し始めた
その顔が、父にも史哉の父にも見える
輪郭がはっきりしてくるとどちらの顔になるのか
見届けるのが怖くなって両手で顔を覆った
朱音…
朱音
「朱音!」
恐る恐る目を開けると不安そうに覗きこむ
祖母の顔が見えた
きつく絞ったタオルで顔をふいてもらうと、ようやく一息つくことができた
「朱音、年寄りが口を挟む事ではないけれど
史哉君となにかあったのかい?」
なにも答えられず
タオルケットを掴む手に力が入る
「史哉君も朱音も早くに片親を亡くして苦労しているから、若い人には珍しい芯の強さを持っていると
おばあちゃんは思うよ
お互いの淋しさを理解できる 良いパートナーだよ」
おばあちゃん
ごめんなさい…
「朱音、気を悪くするかも知れないけど 聞いておくれ
朱音にはすこし破滅的なところがあるとおばあちゃんは心配しているんだよ」
おばあちゃん…
「気立てがよくてしっかりしているのに
良い状態を維持するというより 壊してしまいたくなるようなところがあるだろう?
朱音は おばあちゃんが気づいていないと思っていただろうけど バイトをしていた頃のお付き合いの事はうすうす分かっていたんだよ」
祖母が何を話そうとしているのか、次第に胸が騒ぎ始めた
「おばあちゃん、あの店長さんの家を訪ねたんだよ 年甲斐もなく探偵みたいな事をしてね
家の中から赤ん坊の鳴き声がしていたから 事情は察したの
『孫娘がお世話になりました』と出産祝いをもって行ったんだよ」
小柄で温和な祖母の行動とは思えなかった
「おいとまをして駅に向かう途中 店長さんが追いかけてきたから、おばあちゃんね 言ったんだよ
『孫の身体に随分無茶なことをしているようだけど 責任をとって 奥さんと別れて一緒になってくれますよねぇ?』と
すっかり動転して土下座されたんだよ」
「おばあちゃん、そんなこと初めて聞いたわ」
「当たり前だよ、言うつもりはなかったからね 事の次第によっては殺されるかもしれないと覚悟していたんだよ
朱音、まっとうに生きなくては駄目だよ
悲しい思いをたくさんしてきたから これからはちゃんと自分の幸せに前向きにならなくては…これはおばあちゃんの遺言と思ってちょうだい
史哉君と幸せにおなり」
「おばあちゃん 私、史哉に嫌われたかもしれない…」
「そんなことあるものか
さっき 朱音が食べたアイスクリームは史哉君が買ってきたんだよ
朱音が何も食べていないと話したら買ってきてくれたの
おばあちゃんのご飯は食べなかった朱音が史哉君のアイスクリームは食べたんだよ
朱音が食べたいものをちゃんとわかっている
すごいねぇ…」
史哉…
身体を突き抜ける哀しみのあと
僅かに差し込む光に向かうべき方向を
示された気がした
