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scale out!!

こゆくてマニアックな自己満足。

今日、年上のバンド仲間からふっと打ち明け話。

実は、人のたくさん居る所が動悸がしてしんどくなってしまう。あまり人に話してないけど、もう一年以上その状態なんだとか。

軽い適応障害みたいな感じなんだろうか・・・病名までは詮索しなかったけど、カウンセリングは受けているらしい。

それでもおおっぴらに話していないのは、やっぱり「自分はステージ人だから」という気持ちからなんだろうな。


アコースティック系のライブ会場で会ったんだけど、

「こういう所で咳でもしたら、迷惑かけるんじゃないかってね」


もう、気にしすぎ気にしすぎ~(笑)

クラシックの演奏会だって、みんな咳払いぐらいしてますよ(笑)

「だよね」って苦笑いしてたけど。


気ぃ遣いだけどタフで大らかな人だから、意外でした。

みんな、疲れていってしまうんだね・・・。


僕は「気にしいな所と無神経な所が両極端」ってよく言われます。

片方の無神経さのおかげで、まだ何とかなってるのかな(笑)
何故かバンドで「デリヘル」の話になりまして。

するとg.氏が、

「つっちーの方にもそういうのってあるの?」

こないだそういう日記上げたところなのに、何かタイムリーだなあ。

もちろんあるよ。本番目的で出張なら¥25000ぐらいだったかな。あと差し当たりマッサージとかリラクゼーションとか、そういうアレになってるのもあるし・・・。

「夜な夜な電話してるんだ?」

してねっちゅーの(笑)

そんなお金持ちじゃありません!

てゆうか僕は情が移っちゃう方だから、そうゆう遊びって多分、ちょっと・・・。


でもやっぱ、そういう出張でもホモの方が安いんですね、相場的に。

¥25000じゃ、どんなおばちゃんが来るか分かんないレベルの値段みたい・・・。



いや、そんなこと書くつもりじゃなく、もっと心洗われる話を書こうとしてたのです。


朝起きたら、何故かウルトラマンレオの主題歌がずーっと頭から離れなくて。

改めて聴いたら、やっぱこの曲カッコいいよ!!



↑珍しい、「ウルトラマンメビウス」への客演シーン。


やっぱレオ、カッコいい・・・ちょっと、泣いちゃった。


レオってさ、最初から「ウルトラ兄弟」で祝福されてたわけじゃなかったんだよね。

タロウみたいなサラブレッドじゃないし、全然エリートでもないどころか、逃亡者だし、ウルトラ兄弟からはよそ者扱い。

んで、最初は怪獣や宇宙人に必ず負けちゃって、モロボシ・ダンに特訓してもらわないと倒せない。


正直子供のころは、レオって好きじゃなかった。

派手な光線技は持ってないし、なんか地味で。


でも、今なら分かるよレオのカッコよさ!


学校でいじめられてたりハブにされてたりする子供なんかさ、レオみたいなもんじゃない。

勇気を出して二丁目に来てみたけど、中途半端な体型だからってデブ専バーで見向きもされなくて、身の置き所が無かった若い子とかさ!


・・・いや、別に自分を重ねてるわけじゃなくて、ですね。



「ウルトラマンデブ」とか、作ってくんないかな。

隊長のモロダシ・ダンに立派な性玩具としての特訓を受け、攻めてきた怪獣や宇宙人にその身を捧げ。

そして満足した宇宙人は地球に手を出さずに去っていくのです。


・・・あれ?地球じゃなくてよくね?

地球人、いい迷惑じゃね?



いやともあれ、レオ、カッコいいよ!!

ちくしょう、ベース練習しよ!


なんか分かんないけど、火が点いたのは分かって!(笑)



 
自らは心の痛みに苦しむ人が、ぞっとするほど殺伐とした言葉を他人に向けている。そんな場面に出くわしたことはないでしょうか。

どれほどの痛みを受けたのか、相手に対して「晒してやりたい」「殺してやりたい」という言葉を吐くほど。

そんな場面に出くわして、「この人とは、仲良くできそうもない」そう、思いながら距離を取っていました。


もっと正直に言えば、僕はこの人の心性に恐怖していました。とても淀んだ、暗い目。

自らの痛みを、他人への憎悪や怨恨に転じさせた目。

そのような目を見るのは初めてではなかっただけに、その時の恐怖がフラッシュバックしていきました。


「真剣に相手をしては駄目だよ。相手は病気なのだから、なだめすかすことをまず心がけなくては」

そう、仲のよい友達にアドバイスしてもらいました。

僕はよく知らなかったのですが、その話で聴いたには、幻覚に苛まれるほどの心の病を抱えた人だったのだそうです。


その友達のアドバイスは、たぶん正しいのでしょう。

嫌味でなく、僕よりもよほど世慣れた、尊敬すべき友達です。

もちろんその言葉の真意も、僕が憎悪に当てられないように、傷付かないようにと思ってくれた上での言葉だったのでしょう。


しかし僕は「病気なんだから」と、そのように余裕を持って対峙することはできませんでした。

何といっても目の前にいるのは一個の人間であるのだし、僕も同じ人間として本音を言わなくてはならない。

僕は医師ではないし、だから彼は患者ではない。

そこがまだ、青いのでしょうね。


正直言うと、先に書いた「恐怖」がさらに余裕を持って接することを阻みました。

「総毛立つ」とはこのことか、というぐらいの恐ろしさを感じていたのです。彼の心にわだかまる「憎悪」に対して。


そんな時でも「真剣に相手をしてはいけない」という「余裕」が、「心の病気への理解」というものなのでしょうか。

考えているのですが、まだよく分かりません。