私のブログを見ている人なら聞かなくてもご存知のお話。
私は保守的で古典的で内向的で非リア充でオタク。
友達は広く浅くより、ある程度の深さを以ってある程度の内面まで晒せる少数で充分。
…で。
そんな私も昨年、友達の招待でfacebookに登録し。
だけど使いこなせる気がしないし使いこなすほど社交的な性格でもないので友達を増やす気が無く。
プロフィールは名前をローマ字、誕生日は西暦抜きの誕生日、そして血液型のみという、友達の繋がりか本名のフルネーム検索でしか引っかからない程度のクローズな状態で利用していたのです。
ところが。
最近になって、友達が何百人も居る学生時代の友達から申請が来て。
承認したら、そこから更に様々な方から申請が届き…。
ありがたいことなんです。
別に彼女たちのこと、嫌いな訳じゃありません。
むしろ、思春期を同じ秘密の花園(笑)で過ごした大切な仲間たちだと思っています。
だけど、その時代に個人的な交流がほぼ皆無だった同級生からも申請が届き。
申請を拒否するつもりはありませんが、私が承認することで彼女たちににどんな「プラス」があるのかと、不思議に思ったのです。
単純に、友達の人数がプラス1。
私の発信する情報が(内容の程度はともかくとして)彼女たちのウォールにプラス。
私と繋がった先にある友達の環や、私の交流模様が見られるというプラス。
場合によっては、私という人材が人生に何らかのプラスになる可能性。
逆に、彼女たちの持ち物(技術や才能や提案)を売り出す開拓場所としてのプラスになる可能性。
まぁ、過去の同級生や友達と繋がることに、プラスとか価値を考える方がナンセンスなのかもしれません。
そうは言っても、どうやら私は利害関係抜きに前向きに他人と関われない性格のようです。
プラスでもない、マイナスでもない。
そんなゼロ地点の関係の自分たちが繋がることで、一体この先、新しい交流の芽は生まれるのか?
言葉を言い換えれば、端末の画面上で、回線を通じてしか繋がっていない心の見えない交流から、新しい熱が生まれるものなのか?
facebookにせよTwitterにせよ、このブログにしたって、利用する人がそれぞれのツールにどんな意味や価値を持っているかによって、用途と結果は変わるのでしょう。
そして今の私には、facebookは過ぎた道具。
アナログ人間には、まだまだ受け容れ難い場所のようです。
だから私からは、自分が生涯関わっていきたいと思える大切な人ではない限り、友達の申請をする気にはなれない、クローズ状態。
申請が来たものにだけ、気が向いた時に承認ボタンを押す、高飛車とも取れる交流。
まぁ良いか。
今の私の価値観では、そんな風にしか出来ないんだから。
そうしているうちにも、ポツリポツリと、「友達」はまるで増殖していくかのようです。