※無駄に長いです。さゅのオタク面を自己分析、自己解析したレポート的な
この前、創作仲間と話をしていて。
彼女とは、幼馴染と言っても過言ではない、長い付き合いで。
だけど、幼稚園や小学校低学年の頃はまだ、お互いを認識してなくて。
それより昔にそれぞれ『幼馴染』と呼べる友達が居るから、今更お互いに『幼馴染』と認識するのがちょっと照れ臭い仲だったりもする。
そう思ってるのは、私だけかもしれないけど。
そんな彼女が、家の片付けをするうちに小さい頃から書き溜めてきたらくがきや、物語の断片が発掘されたというから、一緒に懐かしんだ。
たくさんの友達と寄せ書きしたらくがきや、物語の設定資料なんかが出てきて。
『懐かしい!青春の思い出、ありがとう!』
なんて言いながら、二人の両脇にはらくがきが山積みになってた。
私のらくがきも混ざっている。
当時、一緒に物語を考えた、あの子やあの子や、あんな子のらくがきまで混じってる。
それを見ているうちに、彼女が言った。
『こういう、子供の頃の絵を見ていると、その子がどういうものに影響を受けて育ったか分かるよね』
言葉は少し違ったかもしれないけれど、そう言っていた。
それぞれが考えた物語や、キャラクターの設定の中に、影響を受けたゲームやマンガ、小説、アニメの影響が見え隠れしている。
本当に、その通りだなと思った。
そして、私のルーツを考えてみた。
私が影響を受けてきたのは、主にアニメと童話絵本だ。
アニメの魔法少女に夢中になって、ひらひらの衣装を着て変身ステッキを持っている女の子の絵を、広告紙の裏に何枚も描いていた。
幼稚園では毎月、絵本を二冊ずつ定期購読として配布され、その中でも『宝石姫』が隠れたお気に入りだった。
美しい少女が話すと溢れる宝石の挿絵に、夢中になったのを今でも憶えている。
そして小学校に入る直前、高橋真琴のおひめさまえほん『にんぎょひめ』に出会って、少女絵の魅力にのめり込んだ。
綺麗な、繊細な、少女の絵に完全に魅了されていた。
しかもそれが『にんぎょひめ』だったことが大きいと、今更のように思う。
『にんぎょひめ』は、子供が読む童話の中でも少ない、悲恋の結末を迎える。
私の中で、主人公は安易に幸せな恋を手に入れられないというセオリーになった部分だろう。
『にんぎょひめ』は人と魚、半々の姿をしている。
そう言えば、私が過去に作った物語の主人公で、純然たる人間という設定は少ない。
(まぁ、主人公が特殊能力を持っていないと話を作りにくいという、想像力の乏しさに拠るところも否めないが)
『天涯繚乱』はその中でも、より複雑な状況下に生まれた存在として描いている。
『にんぎょひめ』は異なる種族(人間)を愛し、その身の一部(声帯)を差し出したり痛みを伴ってまで、愛する人の側に居る事を願う。
大きく言えば、出会いそのものが運命的。
なのに、出会った両者の間には決して相容れない隔たりがあるって、関係性。
それでも想いを貫く為、粉骨砕身したり苦難を忍耐する女性の姿が私にとって究極の愛に見えたのだろう。
『にんぎょひめ』は、人魚のときと足を手に入れてからで当然衣装が変わる。
人魚の姿は、女の子の裸体を描くことを好むようになった原点だと思う。
少女の肌の白さ、淡い質感、やわらかな身体の線に惚れ惚れしていたことは間違いない。
そして、高橋真琴のお姫様といえば、あの繊細で美しいドレス姿だ。
『にんぎょひめ』の他にも、子供が読む物語の中では『白鳥の湖』、『かぐや姫』が好きだった。
その割りに、『シンデレラ』や『白雪姫』にはそれほど興味をそそられなかったところからも、『人ならざるもの』を好む私の原点が見えてくる。
そんな事を思って、自分の古いらくがきをしまってある引き出しや棚を片付けたら、生まれて初めて書いた物語のノートが出てきた。
ストーリー展開は単純で、斜め読みにしただけだが、笑っちゃうほど私の原点だった。
それが、『にんぎょひめ』だけではない様々な影響をうけて作られた話なのは明らかだ。
だが、その原点があるからこそ、今の『天涯繚乱』があるように思った。
叉游邏もカエラも、この時から私の中に核が出来上がっていた。
天使 ラミュール。
いつか時間を取って、ゆっくりと原点を見詰め直したいと思う。
最後に。
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当時はバラ売りで、『にんぎょひめ』だけを持っていました。
セットで購入した今でも、『にんぎょひめ』への思い入れの強さは変わりません。