8月19日(水)
行きがけに各所でガイガーカウンターにより放射能の数値計測をおこなう。
(各地の数値は後程追記)
首都高速から降り出した雨は東北道に入り埼玉を通過するあたりでものすごい豪雨になる。
那須高原SAで休憩後、福島西出口で降りて山深い国道を海岸方面に東走。 山あいでガイガーカウンターで測定してみる。
その値0.8マイクロシーベルト。
しばらく峠道を走っているとけたたましく携帯のアラームが鳴り響く。14:36。
相馬市で震度5弱、南相馬市でも震度4。
車の中ではさほど揺れを感じなかったが、現地についてからお話をお伺いするとかなり大きくて一時的に避難されたほどだった。
ようやく相馬市にあるNPO法人コーヒータイムの理事長、橋本さん宅に到着。
妹さんの家に浪江町から避難されてきたとのこと。
一時は仙台まで避難されていたそうだ。
橋本さんに案内していただき、最初にさぽーとセンターぴあの作業所「デイさぽーとぴーなっつ」に行く。
夜にきょうされんの支援スタッフとの懇談会があるということで、それに急きょ参加させていただくことにしてご挨拶だけ済ませ、橋本さんに再びご案内いただき、この日訪問させていただいたもう1箇所、原町区にある地域活動支援センターポニーハウスにお伺いして施設長の青田さんにお話を聞いた。
震災前日にリニューアルして引渡しを受けた直後の出来事だったそうで、避難生活を経て実際に活動を始めたのはゴールデンウィーク後とのことだった。
利用者は全員無事、最後の一人も家が流され新潟に避難していて偶然帰ってきたところで安否確認ができたそうだ。
一時避難していたスタッフも誰一人として欠けることなく復帰されて活動を続けている。
避難所生活を強いられた自閉症の利用者は集団生活になじめず、家族に繰り返しいつ帰れるのか問いただし4月頃にはと答えていたがその時期になっても帰ることができずにとうとう仮設住宅の壁を壊して退去され方もいたという。
みんな口々に早く作業所に戻りたいという思いを語っていて再開することを決断された。
しかし原町区は緊急時避難準備区域になっているため作業所の認可が下りず、スタッフは4月以降失業手当で活動を続けていて、市に相談をしたところお金がないので県に泣きつけと言われ県も国の判断に従っているため実質的に自主運営を強いられている。
また震災直後の原町地区周辺の状況をお話していただき、原発事故の影響で物資が届かず困窮したこと、とくに避難しようにもガソリンがなく南相馬市長が国に要請してタンクローリー車が来ることになったが、それもいわき市止まりでそこから先は行かれないので取りに来てほしい。使用したタンクローリー車は返さなくてよいと言われ、今なおその車両は南相馬市役所裏の駐車場に2台並んで駐車されたままだった。
お話の随所で東京電力や行政に対する怒りを語られていた青田さんだったが、作業所から失礼した後、案内してくださった橋本さんが青田さんは以前はあまり怒ることのない穏やかな人だったんですよと話してくださった。
(つづく)

